海外旅行記録/ドイツ ツアー35(2013年4月15日午後ハイデルベルグ-3)/JTB旅物語
テラスからの眺望を更に追加しました。
このテラスにまつわる伝説です。(ネットより)
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城内の名物ワインの樽を見学しました。
このイン樽とは?(ネットより)
このワイン樽は、1751年カール・テオドールが造ったもので、直径7m、長さ8,5mあり、
222,000リットルの容量で、木製の樽としては世界一のものである。
樽の上の方に、CとTのカール・テオドールのイニシャルである紋章が飾られており、130本の樫の木からできている。
左右の階段を上がって棚の上の踊り場に上がることもできる。
一回りしてみると樽の大きさが実感できるだろう。
当時、税金の代わりとしてワインを納めることができこの樽におさめられたワインは、
いろいろな畑のものが混ざり合い、アルコール度が5%くらいで質的には良くなかったといわれる。( ;∀;)
城の最盛期には、常時500-600人の人がいて、一日約2000リットルくらいワインが消費されたという。
ワインはポンプでくみ上げることができ、それは階上の宴会場である「王の間」に運ぶことができ合理的に造られていた。
ハイデルベルグ城観光の最後にはエリザベス門を観る。
エリザベス門とは(ネットより)
この門は、「エリザベスの門」といわれフリードリッヒ5世が、妃の英国生まれのエリザベス・スチュワートのために造ったものである。
彼女は、この「砲庭」を気に入って毎朝散歩していた。
彼女の19歳の誕生日の朝、いつものように散歩していて昨日までなかった門を見つけて大変驚いたという。
夫のフリードリッヒ5世は、彼女を喜ばせるために一夜のうちにこの門を建てさせ誕生日のびっくりプレゼントにしたわけである。
二人は政略結婚であったにもかかわらず、大変仲がよかった。
この門をバックに写真を撮ると二人にあやかって幸せになるとか。
この門の奥には彼女のために増築した「英国館」が見える。
フリードリッヒ5世は、プロテスタント派の主導者としてボヘミアに赴くが翌年「白い山の決戦」にてフェルディナンド皇帝率いる大軍に敗れる。
一冬のみのボヘミア王であったことから、「冬の王」といわれる。
最後は、選帝侯の地位を失って排斥されオランダに落ち延びたという悲劇的な運命をたどった人であった。
以下次回へ