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番組で『ウルトラマン検定3級』をやらされた。

3級は、ごく一般的問題が多かったので比較的楽だったが、平成ウルトラマンの問題が難儀だった。

ブロードバンドでウルトラシリーズが放映されるので、番組では初代ウルトラマン~ウルトラマンレオまでの作品を扱ったのだが、番組が始まる前に円谷プロの人が「ウルトラ兄弟ではなく、ウルトラヒーローと呼んで下さい」と言ってきた。

この発言に我々は「????????」となる。

理由を聞くと「ウルトラマンレオは、L77星雲出身だからです」と馬鹿げた発言をしてきたのだ。

「それって、おかしいですよね」と食ってかかろうとすると、河崎実監督から「やめなよ、この人に言っても仕方がないことなんだから。意味わかってないから」と言われた。

確かにレオは、L77星出身だ。

ウルトラ兄弟とは、ウルトラの父を頂点に集まっている宇宙警備隊メンバーのこと。

長男はゾフィーだ。父と母の実の子は、ウルトラマンタロウだけ。それでも兄弟と呼ぶのは、なぜか?

答えは簡単。師弟関係と考えればいいのだ。

たけし軍団に置き換えると、父=たけしさん。ゾフィーは東さん、初代マンは松尾さん。そうやって見て行けばいい。弟子は、上の先輩のことを兄さんと呼ぶ。下は弟。
つまり、兄弟子、弟弟子となるのだ。

このように考えれば簡単なことなのに、「レオがL77星だから」って言うのはおかしい。

国籍が違ったって、師弟関係は変わらないんだから。ゾマホンが軍団に入ったけど、もしも“ウルトラヒーロー理論”で言うと「君は国籍が違うから、兄弟ではない」と言ってるようなもんだからね。

そして、父と母の子はタロウだけだから、母とタロウが「ウルトラを名乗っていいのは、タロウだけです。うちが本家なんです」って和泉元彌と節子ママみたいなこと言い出したら大変だよ。

まぁこれは冗談として、やっぱりおかしいんだよね。
円谷プロって公式設定を次から次へと変えていくんだ。

まるでオリンピック競技みたいだよね。毎年ルール改編があるみたいな感じ。

初代ウルトラマンが作られた時の基本設定は凄かった。

ゴジラが上陸した影響もあって、科学特捜隊が設立されたりしている。
原作者の金城さんの基本設定は、本当に凄い。
0から作ったんだからね。
シリーズになってからは、どんどんと色んなことが崩れていく。
でも、これを「ダメだ」とは言わない。
毎週毎週作品を作る苦しみって大変だし、視聴率も取らなきゃいけないし、続けないといけない。
だから、仕方がないことなのだ。

初代マンを作った時、金城さんは「ウルトラマンのストーリーはいらない」と言ったそうだ。
その方が、ウルトラマンという存在が謎であり、神みないな存在に見えるからだ。

その案って凄く良いと思う。情報が少なければ少ないほど、ウルトラマンの存在が神格化していく。大賛成だ。
だが、シリーズを続けていくと、そうはいかなくなる。
また、当時の子供もウルトラマン側のストーリーも喜んでいたからね。

“ウルトラ兄弟”を“ウルトラヒーロー”と呼んでくれと言いだした途端、ついに来るところまで来ちゃったのかなって感じだ。

作り手側がもう一度「ウルトラマンとは何ぞや?」とうい禅問答をしないといけないんじゃないかな?

ここ数年では、「帰ってきたウルトラマンをウルトラマンジャックと呼びましょう」とか言われるけど、俺らは絶対に“ジャック”なんて呼ばない。帰りマン、新マン、きマン、そういった呼び名で呼ぶ。

当時作られた公式設定で呼べばいいと思う。それは強制でなく、それで育ったんだから、それでいいのだ。
ウルトラ兄弟だって、内山まもる先生の書いたウルトラ兄弟は傑作だからね。
それを無しにするなんて許せない。

歌だって「我らウルトラ6兄弟~」ってあるんだから。
L77星だからなんて理由がまかり通るなら、差別だって言えばいい。
ウルトラマンを人間みたいに最近の作品では扱ってるんだから、人間的に考えたら完全な国籍差別だからね。
ぐちゃぐちゃになってるウルトラマンの設定をもう一度見なおなさないと、検定なんてなんの意味のないものだと思ってしまうよ。