~狩人達の酒場~

様々なことを書いてきましたが、当初の意図とは移りかわり、なんでもありの情報ブログ化してきました。まさに野次馬のごときブログです。いずれはいろんなハンター達の情報交換の場所をいずれは作りたいと思います。(ハンター×ハンター参照)


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革製品が自分で好きなように作れる。

アウトソーシングとして個人で販売してもいいだろうしね。
http://joggo.me/
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『宗教とは触媒である』と考えています。
今の自分よりさらなる高みへ自分を導いてくれる存在、その化学反応の手助けをするもの全てを宗教とよびます。
修行をするにしても、だらだらやってしまう人もいれば、長続きしない人もいます。その差はどこにあるのかというと身体能力ではなく脳です。本当に自分に合った宗教を見つけることができた人間は、恐るべき密度で毎日を生きることができると私は確信しています。
ですから結局は脳をコントロールできる精神的な存在がスーパーになるために必要不可欠なのです。
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進撃の巨人 あの漫画は大人気だそうだが、おいらには巨人というのがなんかの比喩に思えてならない。

作者は何か思いがあるのかどうかわからないが、巨人というのは会社とか資本主義の富裕層のような気もする。


で、話はずれるが、
失業したら、国民年金の免除申請と国保の減免申請を忘れないようにしよう。

国民年金については会社都合自己都合に関わらず、失業状態なら0で換算できる。

ただし、配偶者などいる人は要注意、世帯での所得になる。
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■五黄土星……「斉藤一」信念や正義を守りたい
 自分が正しいと思う気持ちや、仕事のやりがいや恋愛観を自分の中で守り抜き、自分が自分であろうとするのが五黄土星。生き方にこだわりを持ち続け、生き方を否定されたり信条を曲げられるのを極端に嫌います。そんな五黄土星に近いキャラクターは「斉藤一」(江口洋介)。元新撰組三番隊隊長で、維新後は藤田五郎と名を変えて明治政府の警官になりますが、新撰組の時の信念を生涯忘れることなく、貫き通す生き方を選びます。斎藤は新撰組に常に心を置き、「悪は叩き斬らねば正義は保てない」という信条を持ち続け、明治の時代になってもそれらを誇りに思っています。自分の思いや信念を曲げずにまっすぐに生きるその姿は、まさに五黄土星そのものと言えます。

誕生数33の人
誕生数6になる人の中には計算の途中で33になる人がおり、この人の本来の誕生数は33です。6は偶数、33は奇数なので、33の人は6の持つ偶数の性格が奇数の性格となります。偶数は自分の感情に正直ですが、奇数は感情を制御し客観的です。偶数と奇数が入れ替わるという意味では11の人と同じで、2と11が全く違うように、6と33も全く違います。

6も33も感情の海に住んでいるので人間の感情を重視していますが、33には3の数字が持つ人工知能のような知性が入るのでかなり客観的です。3の持つお人好しな面も入るので、33は全ての人の感情を理解し救いたいと感じる性格を持っています。数秘術占いで33が救世主のような存在として扱われる理由はここにあります。本人は自分のことを救世主的な性格とは思っていないかもしれませんが、これは3の人が無自覚に人助けをしていることと同じで、本人に自覚はなくても周りからはそう見えるようです。3は感情レベルが子供ですが、33は大人なのでスケールが全く違います。

33は6よりも行動力がありますが、これは3が持つ無謀さから来ているようです。奇数は個人的なことよりも世の中全体を重視するので、33の人の中には革命的なことを行う人もいます。感情重視の特徴を持つ数字はみな暗い面を持っていますが、33には3が持つ明るさが入っており暗くは見えません。

ただ、感情重視の数字は天使と悪魔が同居しているため、魔の部分が強化されると3が持つ破壊力がパワーアップし、33はかなり危険な数字となります。3は極端から極端へ変化する数字なので、33の場合、救世主になったり魔王になったりします。

いろんな意味で、33は3の大人バージョンといった感じで、大人の感情を知った3が33です。33の人には3の性格も参考になるでしょう。

誕生数33の有名人
TAKAHIRO(EXILE)、赤西仁、加藤ローサ、伊藤英明、西村和彦、徳井義実、河本準一、波田陽区、ねづっち、島袋寛子、早見優、増田恵子、石川秀美、河相我聞、デビット伊東、玉袋筋太郎、井上陽水、石田あゆみ、有森裕子、ラモス瑠偉、大橋巨泉、夏目雅子、レーニン


■前世のあなた

前世のあなたは伝統を継承し守る人だったでしょう。
名家名門として王家に仕えた家系の継承者。数百年の看板を受け継いだ老舗の家長。等々、古く正統なものを守り子孫に伝えた人だったと考えられます。家督だけではなく商売や伝統芸能、芸術や医業など父祖伝来の特殊な家業を継いだ可能性が高いです。
血統による承継に限らず集団の伝統、たとえば宗教やしきたりを守る人だった場合もあります。古い体制を護持しようとはたらいた国家の要人や、古典宗教の教義を守り抜いた法王などです。
女性の場合は玉の輿に乗った可能性がとても高いと言えます。名門の家督を継いだ夫の妻であることに誇りを持って、嫁いだ先の家業を盛り立てただろうと思います。

貴人の星と言われる【奎宿】は家柄への誇りを大切に抱いています。
良家出身の雰囲気を持つ星は他に【房宿】【翼宿】【虚宿】などがありますが、この【奎宿】が最も家柄の誇りを意識しているように思います。
自分の力で守り高めなければならない家業があったために、常に誇りを確認しながら自分を律して生きる必要があったのでしょう。

名門に生まれ家督を受け継いだあなたは、自分の代で家業を盛り立てて財産を増やし子孫に伝えました。
「家柄に誇りを抱く」と言ってもそれを鼻にかけて庶民を見下すこともなく、正義の心で弱者への布施を怠らなかったので庶民からも慕われ尊敬されていました。
ところが過剰に布施を義務と思い込むあまり負担を感じることもあったようです。
伝統の重みもストレスとなりました。そのため神経を擦り減らせ、臥せることもあったでしょう。
ただ、全体には穏やかで平和で、幸福な人生だったと思います。



■今世の幼少期~青年期

魂は前世で過ごした人生を今世でも引きずります。
これはボールが転がる様子と似ています。一度加えられたある力の作用は、他の力が加えられない限りそのままボールの転がる軌道に影響を与え続けます。魂も同じで、前世で得た環境や生き方などの作用は今世に伝わります。このため魂は直前の過去世で過ごした人生と、どこかしら共通するものがある場所や性格に生まれるのです。
このような魂の軌道を変えるためには、生きているうちに行動して別の力の作用を加えることがどうしても必要です。死ぬだけで劇的に性格が変化すること、つまり「別人に生まれ変わる」ことは決してありません。

奎宿の子は少々堅苦しい雰囲気のある、お行儀の良い子です。
一般家庭に生まれた場合でもお行儀が良いのですが、前世と同じく名家・名門に生まれることも多いようで、その場合は伝統的な礼儀教育を叩き込まれ立ち居振る舞いに品が表れます。
名家名門生まれの子は、何かと「うちの家柄は」とか「先祖は」などと口にする癖があります。親が常にそのような言葉を口にする環境で育っているため仕方がないのだと思います。悪気はないのですが、公立の学校などでは奇異に見られ少し浮いてしまうかもしれません。

理想主義者で純粋、正義感があり、清廉潔白です。また物より心を大切にする高潔な精神の持ち主です。
まるで修道士のような品格と心の美しさを周囲の人は感じているでしょう。
勉学を好み、真面目に取り組むため学校の勉強はよく出来ます。このため出身家庭に関わりなく高学歴でエリートコースに乗る人が多いようです。
ただ坊ちゃん・お嬢様的な雰囲気はいつまでも抜けず、甘く見られることがありそうです。少々潔癖過ぎるところもあります。人間の汚い欲望や争いには生理的に嫌悪感を覚えるだろうと思います。
潔癖ということは打たれ弱いということでもあります。清い水にしか棲めない魚のように、エリートコースをはずれては生きていけない面があるでしょう。
プライドが高く、正統な職種にこだわり過ぎるところも奎宿の泣き所です。
たとえば家業が医者などの資格がいる業種で、家を継がねばならないのに試験に落ちてしまった場合などは落ち込みが激しく、立ち直りがきかない場合もあるようです。

継ぐべき家業もなく、エリートコースからはずれてしまった場合は堕落しがちです。根拠もないのに自分の正統性を叫ぶ人になることもあるようです。
さらにボランティアへの情熱は【壁宿】以上です。思い込みも激しいため、人助けしなければならないと自らに義務を課すあまり過激な行動に走ることもあるようです(たとえば政治運動、宗教活動に走るなど)。くれぐれも自重してください。






■今世をどう生きるべきか

来世のあなたの宿はまだ定まっていません。
今世の生き方によって来世も再び今と同じ宿になるか、それとも全く別の宿になるかが決まります。
来世を選ぶのは今世のあなた自身です。

奎宿の人は王道にこだわる気持ちをどうか少し解放してください。
エリートではなくとも生きていけます。家柄も勲章も人間が生きるためには必要ないのです。
名門に生まれ、継ぐべき家業がある人は致し方ない面もあります。でも、もしその家業を継ぐことが出来なくなったとしても人間としての人生は終わりではないと思っていただきたいです。
周りは期待しているようで案外、冷静に見ているものです。
特に家業を継ぐ立場にない従兄弟たちなどは、「跡継ぎって大変だなぁ。偉いなあ」と思いつつ冷めた目で見ています。残酷な言い方ですが家業が途絶えても彼らは何も思わないでしょう。
継ぐことが叶わなかったとしても、あなたはあなたです。それで人生が終わりになったわけではありません。

叶わなかった理想への情熱を昇華させたいからといって極端な活動に身を投じなくても良いと思います。
もっと広い世界を見つめると面白いです。世の中には色々なことをして生きている人がいます。
地味でも、評価されなくても生きる道はあるはずです。
目標を失った場合は休みを得たのだと思って、少し充電してから今度は自分のペースで歩いてみてください。
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とあるブログのコメント欄で自分にとてもしっくりくることがあった。


ワクワクすることに眼を向けてそれを実行すると良いとバシャールが言っていますが、例え嫌な日々でも毎日の生活の中にワクワクすることを探して如何でしょうか?それを行うことによって幸せになれるらしいです。>Yuzuさん

話がややこしくなったので簡単に言いますと、
人間は他人に必要とされる時に自分に価値を感じるというか
自分が誰かの役に立ったと思える時に生きる喜びを感じられるのです。
つまり、人間関係の中でしか人は生きる意味を見いだせないのです。
自分を愛するという行為も他人との関係性の中で達成できるということです。
ところが他人は理不尽で貴方の愛を受け入れてくれないかも知れません。
もしかしたら傷つけられるかもしれません。
それでも他人を愛するという行為を行うことによって自分自身が救われるということです。>みこさん
エイジ
2014/03/05 00:38


http://bloom.at.webry.info/201403/article_1.html 葡萄酒は成功者の酒である より引用
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「言葉が、分離を生む?」

「そう。その典型的な例が『名前』さ。名前を付けるという行為は、物事を分離させるということに他ならない。さっき話した『自分が生まれたことがあるという誤解』『自分と自分以外があるという錯覚』は、この『名付け』によって強められているんだ。君が『峰岸琢馬』と名付けられたことによって、君は『峰岸琢磨』という<独立した存在>があるという錯覚を確固たるものにした。でも本当は、君は峰岸琢磨なんかじゃない。ドアの向こうで感じたエネルギー、あの命の源泉(ソース)、そこから派生する存在の全て、それが本当の君。『名前』は、あらゆる存在を人工的に分離する。たとえば…、肉・骨・内蔵・皮膚・毛・歯・足・胸・指・鼻……。一人の身体でさえ、いくらでも分離されていく。名付ければ名付けるほど、<それ>と<それ以外>が増殖する。『分離』というツールを使って、『統合』を理解することは不可能なんだ」
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自分の覚え書きようです。


思考が現実を作るわけ
人は、何をするということもなく過ぎる時間の中にいると、色々と考えてしまう癖があるようだ。

ボーッとしているように見えても、頭の中では絶えず独り言が巡っている。

その状態は、あまりにも当たり前に慣れ親しんだものになっていて、自分がそうして考え事をしている事すら、普段の生活の中では見落とされてしまう。自分が頭の中で独り言を呟いていることにさえ気づけてはいない。

まさに、今もこうしてアレコレと考えているのだが、これまでとは明確に違う何かがある。

そう、自分の思考を、他人事の様に観察している別な自分がいる、というこの奇妙な感覚こそが、その何かだ。

これまで無自覚に流されてきた思考を、流すことなく客観的に把握できているというこの状態が不思議でならない。

そして、その感覚は、奇妙さと共にある気づきをもたらしてくれていた。


何かに集中し、状況に適した意識的な思考と、無意識に流されている独り言。

暇さえあれば無意識な独り言が続いているのだから、その配分を切り分けたとしたら、意識的な思考よりも、無意識に流されている独り言に費やされている時間の方が、圧倒的に多い。

だとすれば、だ。

自分の思考が現実を創るのであれば、俺の目の前にある現実のほとんどは、無意識に流されてきた独り言によって創り上げられたと言っても過言ではない。

なんと馬鹿馬鹿しいことだろう。俺は今まで、自分の「無自覚な思考」によって、無自覚に現実を創り上げてきたのだ。

そして、もう一つの問題は、「無自覚な独り言」のその内容にある。

振り返ってみると、俺の独り言のほとんどは、不平不満や何かへの恐れ、保身や怒りなどといった、ろくでもないものばかりだった。

暇さえあればそんな事を考えていたのだから、それ相応の現実に身を置いていても当然ではないか。

これまでの人生の中で、思い通りにならない出来事に遭遇するたび、心のどこかで「やっぱりダメか」などといった落胆があった。

が、よくよく考えてみれば、「やっぱり」と感じられるということ自体が、「その可能性を知っていた」ということに他ならない……。




できなくしてしまう訳とは
「例えばだ。白井、あんたは自分の右手を挙げたいと思ったとき、挙げることができるだろう?この部屋を出ようと思えば、そこのドアを開けることができるだろう?」

「いや、ただ行くだけでいい。中に入ったら一度玄関のドアを閉めろ。それが確認できたら、そのまま戻ってくるだけでいい」
「そうだ藪内。もう一つだけ言っておくことがある。俺の部屋に入ってから、お前の身に何が起きたとしても俺は一切責任を持たん」



「そのドアを開け、俺の部屋に行くことは、お前にとって『出来ること』だろう?どうすればドアが開くかなんて、考えなくても出来るはずだ」
「言ったじゃないっスか!『ヤバイことになっても知らない』って。そんなこと言われたら躊躇しますって」

「いや、そんなこと言ってないぞ。俺はただ、お前の身に何が起きたとしても一切責任を持たないと言っただけだ」

「同じじゃないっすか!」と、藪内がわずかに顔を赤くして言い返す。

「で、一体何が起こると思ったんだ?」

「いや、何って……。そんなのわかんないですけど、あんな言い方されたら、何かヤバイことでもありそうな感じじゃないっすスか」

「なぜそう思ったんだ?それは、お前の勝手な妄想だろう?俺は具体的なことなど何も話していないんだから。ましてや『ヤバイ事が起こる』だなんて、これっぽっちも言っちゃいないぞ」

「いや、だからな、俺の言葉を『ヤバイ』って解釈したのは、お前の勝手だろう?繰り返しになるが、俺はそんなこと言ってないんだから。お前は、俺の言葉を『ヤバイ』と捉えたからこそ、俺の部屋に『行かなかった』んだ。そうだろ?」
「そう思うなら動かない方がいい。『闇雲に動いたら大変な事になる』と思って行動すれば、それに伴った現実を生み出すことになる。婆さんが言った通り、自分の記憶と思いが現実を創るはずだ。いや、『記憶と思い』と言うよりは『確信』の方がしっくり来るような気がするな。多分俺たちは、自分の確信に基づいて現実を創っている」
「お前はさっき、俺の話を『ヤバイ事になっても知らない』という意味で受け取ったよな」

「いや、だから……、不信とか、警戒とか、そういうのって、僕たちの今の思いであると同時に、その思いが形成されるための記憶があるじゃないですか。もしですよ、藪内君がこれまで、誰かに裏切られたり、危害を加えられたりしたことが全く無かったとしたら、今の状況下で峰岸さんの言葉を元に、不信や警戒が生まれるってことはあり得たでしょうか?藪内君が峰岸さんのことを心から信頼していたとしたら、もっと不安を煽る様な事を言われたとしても、理解できないか、冗談としか捉えられないかもしれない」

「ああ、確かに俺が話したかったのはそのことなんだ。もちろん、いま田嶋が説明してくれたように、過去に自分が受けた記憶を引っ張りだして恐れを抱くことは多々あるだろう。それに、自分の身においてじゃなくても、テレビでも見れば人様の不幸はいくらでも目にすることが出来る。だが、それ以上に、恐れを確信してしまう要因があるんだ」

「え?なんすか、それ」

「自分自身がしてきたことだ。自分が、誰かに危害を加えるということを経験したことがあるなら、それは、自分が危害を受けること以上に、その可能性を強く確信させる。誰かがしていることを見聞きする以上に、自分自身がしていることは、自分にとって疑いようのない現実であり、確信だろ。どんなことだってそうだ。誰かを騙したことがあるなら、それは同時に『自分も誰かに騙される可能性がある』という確信を生むことになる。誰かを裏切っているのなら自分も裏切られるという可能性を、誰かを殺したことがあるのなら、自分も殺されるかもという不安を人一倍抱えることになる」

「とにかく俺たちは、自分の記憶と思いを通じて選択してきた結果として、ここにいる。なぜだろうな。何に目を向け、何を選択するかは自分の自由だというのに、俺たちは望まないものばかりに焦点を当ててきたみたいだ。だが、その仕組みを知った今、もう選択する道は一つしかない。俺たちは、自分の望む道を進もう」

一体なんなのだろう。自分で話しておきながら、自分の口から出た言葉とは思えなかった。



「要は、『求める』ということがよくわかっていなかったということなんだ。なんと言えばいいのかな…、『求める』ってことは、その結果が『与えられる』ことが前提となった行為だろう?」

「結果が与えられることが前提……、まぁ、そう言われればそうかもしれんな」

「なのに、俺たちはその結果を『自分で作り出そう』としてしまっていたんだ。でもよくよく考えてみれば、それは『結果が与えられる』ということへの不信でしかない。与えられるかどうかわからない、だから自分で結果を作り出さなければ…という。つまり、天国にあって地獄にないもの、『信頼』の欠如だ。そして、望まないものに目を向ける」
「いや、だからな、俺たちが望むべきは、『地獄から出る』ことじゃないんだ」

「ええ??だったら、何を望めって言うんです?」

「天国に行くこと……、いや、天国にいることかな」

「は?結局、地獄から出たいってのと同じじゃないですか……」

「いや、それが同じじゃないんだよ。いいか、『天国に行きたい』ってのは、天国、つまりは満たされた状態に意識を向けることになる。逆に、『地獄から出たい』ってのは、地獄、不平や不満のある状態に目を向けることになる。同じように思えても、実は目を向けている先がまるで違うんだ」





この「極楽飯店」という本を読んでわかったことを自分でわすれないために書いといた。
確信に満ちて行動するば、いや確信するから行動できるのだということがおいらにはわかった。
誰しも間違いだと思ってやっているわけではないからなあ。
経営でも人生でもそうだと思う。
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お金持ちで、高級車のベンツにずっと乗れる人と、
没落して乗れなくなる人がいます。
つまり、高級品が身に付く人と、身に付かない人です。

幸運でも、長く幸運が続く人と、
幸運を掴んだ刹那に幸運を逃す人がいます。


その違いは何かというと、
「幸運を借り物として扱うか否か?」という「距離感」の違いによって生じます。

つまり、幸運が長く続く人は、幸運を図書館で借りてきた「借り物」のように
丁寧に扱うのに対し、幸運を逃す人は、
借りてきた本に「自分の名前をマジックで書く」ような人であります。

「ヨーガスートラ」に「富豪になりたければ、不盗を為すべし」という箴言があります。

これは、「この世で成功したいのならば、すべてを自分のモノにしないことである。」
というような意味で、つまり、「盗むな」=「貪るべからず」という意味です。


さて、悪魔と契約を交わす時、
「お金と快楽を欲しいままにする替わりに死んだら魂を悪魔に与える」
という交換契約を交わします。

疑問に思いませんか?

なぜなら、悪魔はどうやって人間に、
分不相応なお金や快楽を欲しいままに与えることが出来るのでしょうか?

この秘密を解くには、
悪魔の契約は、すべて死ぬまでの「レンタル」という事実を知る必要があります。
死んだら、返さねばならないのです。しかも代償に魂までもです。

ですから、悪魔と契約しなくても、
この世のモノは、すべて借り物だと知り、
そのようにすべての現象を扱うことです。
そして、この奥義の秘密を実践することによって、
悪魔のように現世利益を自在に操ることが出来るのです。


なぜ借り物意識が大事なのか?

これが非常に重要なのですけど、
自分のモノならば、自分に相応しいモノしか手に入りません。
しかし、
借り物ならば、どんな高級品でも「分不相応」は発生しないゆえに、
なんでもレンタルできるのです。

なぜなら借りモノは自分のモノではないから、
自分の器や能力は関係がないのです。

しかし、条件があって、
期限が来たら、
借りた時の状態で返さねばなりません。

これが出来ない者にはレンタルされないシステムなのです。

借り物を扱うように万物と接することによって、
すべてのモノを手に入れられるだけでなく、
得たものを自分の手元から永遠に無くさないように出来ます。

例えば、大金持ち程、物品を非常に丁寧に扱います。
不思議なことですが、丁寧に扱う者に所に、丁寧に扱われるモノが集まってくる。

また、獣は、獲物を借り物として丁寧に扱います。
けっして、無駄な殺生はしません。

それに対し、貧者は、得たものを我がモノとして奴隷のように扱います。
そして、固執し、我が力や物品を見せびらかす。
あたかも、高価な物品が己のステイタスのように陶酔する。
そんな輩に限って、
欲しいモノが己のモノに成らないと知った時、欲しいモノを破壊しようとするものだ。
他者に対する敬意の念が無いものは、所詮滅びる運命である。

借り物という意識が伴わぬ者には、欲しいものは近寄らないし、近寄ることが出来ないのです。
現在、幸運にして手中にしていても、高慢な者には、いずれすべては消えてしまうでしょう。



つまり、「なにかを得ること」に必要な感覚というのは、
欲しいモノと自分との「距離感」なのであります。

その距離感とは、冒頭で述べたように
「欲しいモノは借り物である」という感覚であり、
「借りたモノは借りた状態で返さねばならない」という義務感が丁寧さに繋がるのです。

人間関係でも同じです。

高名な東洋哲学の先生が、
「夫婦円満の方法とは、夫は家では客が他人様の家に来た時のように遠慮がちに振る舞い、
妻は、理不尽な夫であっても、「ひたすら従順」になることである。」と語っておられた。

他人様の家なら、「料理がまずい」とか「食べた後に寝そべったり」しないだろし、
家人の話を真面目に聞いて愛想笑いもするだろう。理想の夫像でありましょう。
まして、言うまでもなく、
夫の無頼や放蕩をどこまでも許す従順な妻は理想の妻でありましょう。
しかも、この方法によって、旦那様がますます生意気になるかもしれませんが、
どんな無頼な旦那でも、自在に操ることが出来るらしいのです。


この世で欲しいものを、なんでもすべて得たいと念ずるのならば、
この世のモノは、すべて借り物だと知り、貪らず丁寧に扱うことである。
そうすれば、望むものはすべて手に入るということなのです。



誰もついていけないBLOGより引用

http://bloom.at.webry.info/201404/article_4.html
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余裕のなさが欲を生む。
欲の深さが執着を生む。
執着の強さが深刻さを生む。
深刻さが強まったとき、人は悲劇(思い込み)を紡ぎ出す。
悲劇(思い込み)の中に緊張が生まれる。
緊張の強さが余裕のなさを生む。
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