なわふみひと氏のブログより |   ~狩人達の酒場~

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様々なことを書いてきましたが、当初の意図とは移りかわり、なんでもありの情報ブログ化してきました。まさに野次馬のごときブログです。いずれはいろんなハンター達の情報交換の場所をいずれは作りたいと思います。(ハンター×ハンター参照)

アメリカが広島に通常の爆撃を行なわなかった理由
  先日、中学時代に広島で被爆された方の体験談を聞く機会がありました。 語り部の竹本成徳さんは私の仕事面での大先輩で、数年前に現役を退いておられますが、かつては日本生活協同組合連合会の会長として活躍され、マスコミにもたびたび登場されていた方です。
  竹本さんの被爆体験は本にもなっていて(『最後のトマト』到知出版社)、私も何度か読んでいます。また、直接お話を聞くのは2回目のことでした。被爆したお姉さんが水を欲しがるのを、「与えたら死んでしまう」と言って与えなかったお父さんが、ついにその最後を覚悟して、末期の水の代わりにお姉さんの好物だったトマトを畑から取ってきて、それを絞って飲ませるお話です。読むたび、聞くたびにしゃくり上げ、流れ落ちる涙を止めることのできない感動的な体験談なのです。
  今回の話の中で、新たに印象として残ったのは、「いつからアメリカは原爆の投下候補地として広島を選んでいたのだろうか」ということでした。そのことについて竹本さんは、「全国の都市が軒並み爆撃されているのに、なぜ広島だけ爆撃されないのか不思議に思っていたが、ちゃんと計画があったのだということが、このときわかった」と語っておられました。
  また、「(通常の爆撃では)必ず火の外側に逃げないと助からないぞと、親友から聞いていたので、そのようにした。だから助かったのです」と、爆心地にいながら奇跡的に助かった経過についても述べておられました。当時中学3年生だった竹本さんは、集団で作業に出掛けた同級生たちの弁当の番をしていたため、建物の陰にいて助かったとのことでしたが、爆撃から逃れる方法を教えてくれた親友は、作業に出た先で被爆して亡くなっています。運命というものの不思議さを感じるお話でもありました。
                     ★ ☆ ★
  ここで私が強調したいのは、アメリカは原爆ができあがるまでに、日本の各都市を軒並み爆撃し、一般市民の殺戮を行なっていたという点です。その殺戮の方法は、市街地の周囲にまず次々と爆弾を落として火災を発生させ、人びとが街の外に出られないように火で取り囲んでおいて、それからゆっくりと中心部に爆弾を落としていったということです。まさに無防備の市民を皆殺しにすることを主目的にしていたことがわかります。
  竹本さんの親友が、「火の外側に出ないと助からないぞ」と言ったのは、爆撃を受けた各都市での教訓を聞いていたからでしょう。しかもアメリカは、広島をはじめいくつかの都市については原爆を落とす候補地として温存し、まったく通常の爆撃を行なわなかったのです。そのうえで、日本の中枢がすでに戦意を喪失しているのを知りながら、原爆が完成するまでは日本を降伏させないようにいろいろと画策したことが、鳥居民氏の本(『原爆を投下するまで日本を降伏させるな――トルーマンとバーンズの陰謀』草思社)で暴露されています(もちろん、このことは早くから知られていたことではあります)。
  いま広島には、「私たちは二度と同じ過ちはくり返しません」と書かれた碑が建てられているそうです。それを見て、「これは誰の言葉なのか」と疑問を呈する方があるとか。「原爆を落としたアメリカが言うのなら分かる。しかし、落とされた日本人がそのような考え方になっているのは、まさに戦勝国アメリカによって仕組まれた東京裁判の呪縛に、日本人がいまなお縛られたままだからだ」と。
  やっと間に合った原子爆弾の威力を確かめたいために、その実験台として日本の都市を選び、通常の爆撃を止めて街が破壊されないように温存し、日本が降伏のシグナルを発しているのを無視して、出来上がったばかりの2発の爆弾を投下して一般市民の大量殺戮を行なった国は、どんな反省をしているのでしょうか。
  人類最大の罪を犯した国から、「日本が最初に戦争を始めたから悪いのだ」と言われて、「そうですね。ごめんなさい。もう二度と同じ過ちをしないようにしますね」と言って自分を責めている姿が今の日本なのです。少しおかしいと思いませんか?
                     ★ ☆ ★
  GHQ(占領軍)の総指揮をとったマッカーサーが、後に「日本の戦争は防衛のためのものだった」とアメリカで証言したことが、昭和40年頃の毎日新聞の連載企画(たぶん「マッカーサー回想録」だったと記憶しています)に載ったことがあります。アメリカは日本を戦争に引きずり込むことによって、当時ヨーロッパにおけるドイツとの戦争で旗色の悪かった同盟国のイギリスやフランスを助ける口実をつくり、アメリカの参戦に反対していた世論の流れを変えることができたのです。
  戦後、日本に駐留してさまざまな情報を得たマッカーサーが、あの戦争の背景を知ることによってそのような発言をしたことは、大変大きな意味を持っています。このあたりのことは、「陰の世界政府の力」というテーマで、これから「なわのつぶや記」でも採り上げてみたいと思っています。             (なわ・ふみひと)