明日ありと 思ふ心の 仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは


これは鎌倉時代の仏教家である親鸞聖人(1173~1263)が9歳のときに書いたお歌です。
聖人が9歳で出家したとき、出家先の京都青蓮院の慈円さまは
「今日はもう遅いので得度(頭髪を剃り僧侶になること〉は明日にしましょう」と仰ったのですが、それに対し聖人は上記お歌で即答しました。
明日どうなるかは全く分からないので、少しでも早く得度したいという聖人のお気持ちに関心した慈円さまは、その日のうちに得度式を執り行ったという話です。

 



また親鸞聖人から9代後で、室町時代の浄土真宗の僧である蓮如上人(1333~1389)は、
『御文章』というお手紙を残しておりまして、その五帖目 第十六通『白骨』に以下の一文があります。
されば、朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり。


朝には元気に出かけたとしても、夕方には白骨となって帰宅するという表現で、人生の儚さを綴っております。

 



以上2つは今から600年以上も昔の話ですが、
人生の儚さという意味では、今も昔も変わらないと思います。


20xx年6月某日、いつものように元気にクルマで買い物に出かけた父でしたが、
買い物先のスーパーで突然倒れ緊急入院し、その年の9月に亡くなってしまいました。
先日までとても元気だった父が、急に倒れ、僅か3か月後には亡くなってしまうなんて、数年経った今でも信じられません。

さてタイトルの「相続は突然やってくる」ですが、
「相続なんて死んでからやるもので、元気なうちから準備する必要なんてない!」と考えている高齢者(特に80代以上)の方が多いように感じております。死は突然やってくるものですし、まさに私の父もそうでした。
80代以上の方が自分の親の相続を経験したのは、今からおよそ30年前。平成の頭くらいだと思います。
確かに当時は亡くなってから相続について考えてもなんとかなったかも知れません。
しかしそれから30年近く経過した現在において、制度も拡充され選択肢も増えております。
また遺産相続を巡る争いも増える一方で、後を託す人にとって、親が亡くなった後の手続きで大変な思いをしているというのもまた事実であります。

そんなわけですので、親が元気なうちに、親の財産を把握したり、親がなくなった後の手続きは誰がどのように行うのかなど、親ときょうだいで話し合っておくとよいでしょう。

※どんなことを話し合えばよいのか相談してみたいという方は、DMにて終活アドバイザーの私までお気軽にご連絡ください。