奈良県立美術館~奈良県庁屋上~興福寺 | やじのブログ

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残された人生を精一杯生きる。
残り3ヶ月と宣告されてもう8年。

神戸にゴッホ展を観に行こうと思っていたのですが、
昨日の夕刊、今日の朝刊によると、

「午前10時の開館時には約500人の行列ができた」・・・

 

今日はもう諦め、平日に行くことにします。

で、歩いて奈良公園まで。
奈良県立美術館での「田中一光展」に行くことにしました。

 

 

近鉄電車や奈良交通バスを使うと楽なんですが、足腰鍛えておかないと。
徒歩で45分くらいで到着です。

 

奈良県庁を南から北に抜けると県立美術館。

 

 

美術館前には大きな広告とせんとくん。

 

 

以前、2013年にここで、2016年に大阪中之島の国立国際美術館でも

「田中一光ポスター展」を観た覚えがあります。



グラフィックデザイナー・田中一光は、1930年に奈良に生まれ、2020年に生誕90年を迎えます。本展は、奈良に生まれ、日本、そして世界を舞台にグラフィックデザイナーとして活躍した田中一光の作品を通じて、その業績を振り返ります。

 田中一光は奈良市内に生まれ、幼い頃から興福寺や春日大社といった奈良の歴史と文化に親しんで育ちました。その後京都で学生時代を過ごし、大阪、東京と活動の場を移していきました。その経歴は日本のグラフィックデザインの黎明と発展に重なるような道のりでもありました。

 田中一光はグラフィックデザイナーとして、ポスター、エディトリアルといったグラフィックデザインを初め、デザインのディレクションやプロデューサーとして、日本のグラフィックデザインを紹介する場においても高い手腕を発揮しました。その膨大な業績の中でも、グラフィックアートを中心とした作家としての創作活動一部は奈良県立美術館にも収められています。また自身の創作活動のみならず、仕事、プライベートを問わず幅広い交流を持った田中一光は、デザイン分野の枠を超えた現代ならではの日本の文化の発信、そして未来へ向けた創造の展開を目指していた一面もありました。

 この展覧会では、幅広い田中一光の作品を通じて、その創作活動の魅力を伝えると同時に、作品を通して、田中一光が目指したデザインによる日本文化の発信を目指す姿勢、デザインの発信する力、創造のエネルギーを感じて頂く機会とするものです。

 また、本展では、衣服デザイナー・三宅一生による「IKKO TANAKA ISSEY MIYAKE」から、田中の代表作でもある2作品「Nihon Buyo」と「写楽二百年」モチーフとした作品を出品します。田中一光と三宅一生は1960年代に出会い、1978年の書籍編集をはじめ、その後もコレクションや展覧会のポスター制作など、深い交流が続きました。出品作品は、元となったグラフィックのデザインを尊重してデザインされ、着用して立体となることでグラフィックに新たな命が吹き込まれ、いきいきとした新鮮なエネルギーの息吹が感じられます。     

 

(ちらしより)

 

 

 

 

1時間ほど鑑賞して、美術館のすぐ南側の奈良県庁の屋上に行ってみます。
昨日の山焼きの後の若草山を見に行きます。

エレベーター内には吉野杉を使った、「子」の透かし彫り。

 

 

東大寺大仏殿~二月堂~東大寺ミュージアム~南大門、その後ろに若草山。

 

 

東大寺ミュージアム~南大門~新公会堂とその後ろに若草山。

 

 

春日山と御蓋山。

 

 

 

帰りに興福寺へお参り。

 

新しくなった中金堂の前庭でなにやら工事中。

 

 

お参りする南円堂。

 

 

一通り読経をして南円堂の北側から商店街へ向かいます。

 

南円堂の裏にはまだ蕾の馬酔木。