京都国立博物館 | やじのブログ

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残された人生を精一杯生きる。
残り3ヶ月と宣告されてもう8年。

 

 

三条駅からたまたまやってきた淀屋橋行き特急に乗り、清水五条駅は通過し、
その次が七条(しちじょう)駅です。
 

 

この駅を上がって、東へ歩いてゆくと15分くらいで京都国立博物館到着です。

 

 

今日の目的は特集展示「豪商の蔵」です。

 

廣海家は、先週の港町、貝塚で栄えた消化です。米穀の廻船問屋として天保6年(1835)に開業し、肥料商、株式投資、銀行経営などで資本を蓄え、これを活かして地域の産業の発展を支えました。
廣海家の広大な敷地には、間口約34mの巨大な町屋、茶室、そして4棟の土蔵がならびます。この蔵に眠っていた大量の書画、茶器、調度などが、当館へ寄贈されました。
当館による調査はあしかけ6年におよび、寄贈作品は1000件を超えました。このまれにみる大型寄贈を顕彰し、選りすぐりの優品をお披露目します。
展示作品の一部をご紹介しますと、明月記断簡、豊臣秀吉の消息、室町時代から江戸時代の扇面を貼り交ぜにした六曲一双屏風、廻船問屋が所蔵することの多い南蛮屏風、すでに名品ギャラリーに並んだこともある伊藤若冲の筍図や大岡春ト筆の四季草花図屏風、司馬江漢筆の富岡遠謀之図、明清の染付や色絵による膨大な数の磁器8宴会用に数十人前で揃っています。)、「光琳百図」の文様を下絵にした漆塗りに金蒔絵の数十人前の膳椀具、柴田是真の銘々盆や中山胡民の菓子盆、御所人形、婚礼調度や婚礼衣装、そして四季の茶道具などです。
現在ならば美術品として特別扱いされる品々も、廣海家の蔵では、家財道具として保管されてきました。どの品も商家の暮らしを営むなかでおのずと蓄えられたどうぐばかりです。世の中の多くの美術品は、それを作った人、商った人、使った人の「暮らし」から切り離されて伝わりますが、廣海家コレクションはそうした暮らしの物語を纏ったまま、しかもひとまとまりで寄贈されました。関西の消化で幕末から戦前にかけて営まれた美しく豊かな暮らしが、そこに垣間見えます。ほとんどの品が初国階です。どうぞお楽しみに!  (ちらしより)

 

とにかくこれが個人の所有物だったというのが驚きです。

 

二階でもう一つの特別陳列「雛まつりと人形」が開催されています。

 

 

 

 

3月3日の雛まつりは古くから行われているように思われがちですが、人形を飾ってこの日を祝うようになったのは、江戸時代の初めとされています。当時の雛人形には、その時代の元号を冠して呼ばれる寛永雛(かんえいびな)・享保雛(きょうほびな)や、考案した人形師の名に由来するという次郎左衛門雛(じろざえもんびな)、江戸で誕生した古今雛(こきんびな)、公家の装束を正しく写した有職雛(ゆうそくびな)などがありました。この特集展示では、各種の雛人形が勢ぞろいします。また、嵯峨人形・御所人形・賀茂人形・伏見人形と、京都の地名を冠した各種の京人形を通して、みやこで育まれた人形文化の諸相を紹介します。
さらに本年は、特別企画「豪商の蔵―美しい暮らしの遺産―」においても、江戸時代から近代にかけて製作された人形を展示しています。これらふたつの展示を通して、江戸時代から現代へ、連綿と続くみやこの人形文化の流れをお汲み取りください。  (ちらしより)

 

あとは名品ギャラリー。少しずつ展示物が変化しているので、何度行っても楽しめます。

 

何やかや観ているとあっという間に2時間が過ぎてしまいます。

 

観終わって敷地内を散歩。

 

明治古都館の屋根。

 

 

明治古都館と噴水とロダンの考える人像。

 

 

東大寺大仏殿前の八角燈籠のレプリカの周りに梅が咲いていていい香り。

 

 

後ろに見えているのは平成知新館。

 

 

明治古都館と梅。

 

 

ここはどんどん梅が咲いていますね。

 

 

菰を撒かれた松。向こうに梅が見えていますね。

 

 

夕暮れの博物館。
煉瓦造りの旧入り口(今は出口専用)、京都タワーが見えていますね。