神戸市立博物館で「ボストン美術館の至宝展 東西の名品、珠玉のコレクション」 | やじのブログ

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残された人生を精一杯生きる。
残り3ヶ月と宣告されてもう8年。

  

 

朝から近鉄電車に乗って神戸三宮まで。
って、これ阪神電車ですね。

 

 

もうクリスマスですね~。

 

 

地下にある駅から地上に上がると・・・・
まだこんなの居るんだ。

 

 

こうべ花時計は来年の干支である犬が葉牡丹で描かれています。

 

 

道路際の花はちょっと寂しいですね。

 

 

イートインのあるセブンイレブンで一服。

 

 

昼のルミナリエ。寂しい・・・

 

 

神戸市立博物館です。

 

 

博物館の前の、今回の展示品の紹介。

 

 

博物館1階の記念撮影コーナー。

 

 

I.異国を旅したボストニアンたち
     1.古代エジプト美術 2.中国美術 3.日本美術。

II.「グランド・ツアー」-ヨーロッパ美術を集めたボストニアンたち 
     4.フランス絵画

III.アメリカン・ドリーム -自国の美術を収集するボストニアンたち
     5.アメリカ絵画

IV.同時代の美術へ -未来に向かう美術館
     6.版画・写真 7.現代美術

という構成で80点の美術品が出展されています。

 

ゴッホの「郵便配達人 ジョゼフ・ルーラン」、「子守唄、ゆりかごを揺らすオーギュステイーヌ・ルーラン夫人。

 

1888年2月、ファン・ゴッホはパリを離れ南仏アルルに移り住んだ。見知らぬ土地に暮らし始めたファン・ゴッホにとって、ジョゼフ・ルーランはモデルとなってくれる数少ない友人だった。ジョゼフの仕事は「郵便配達人」と紹介されることが多いが、実際にはアルル駅で郵便物の管理を担当していたとされる。ジョゼフばかりではなく、妻オーギュスティーヌ、長男アルマン、次男カミーユ、赤ん坊の末娘マルセルもファン・ゴッホのモデルとなった。20点以上も残される一家の肖像画は、画家とルーラン一家との親愛の情を映し出している。
ルーラン夫妻は、精神的にもファン・ゴッホの支えとなった。1888年12月、ポール・ゴーギャンとの共同生活が破綻した際、ファン・ゴッホは自らの耳を切った。ジョゼフは入院した彼を定期的に見舞い、外出が許されたときには彼に付き添った。パリに住む弟テオとも連絡を取り合い彼を支え、マルセイユに転勤したのちも交流は続いた。ファン・ゴッホは、テオ宛ての手紙に「ルーランはぼくの父親というほどの年齢ではないが、年長の軍人が年下の兵に接するような寡黙な厳しさと愛情を注いでくれる」とその存在の大きさを書き記している。

 

 

 

英一蝶の「涅槃図」

 

170年ぶりの本格的解体修理を経て、初めて里帰りしてきたようです。

英一蝶(1652~1724)は江戸に生きる人々の風俗画を得意とした一方で、仏画も多く手がけたことで知られている。釈迦の入滅の様子を描いた《涅槃図》は一蝶による仏画の大作であり、江戸時代の仏画の代表作だ。画面だけでも高さ約2.9m、幅約1.7m、表具を含めれば高さ約4.8m、幅約2.3mにも及ぶ大きさに圧倒されることだろう。涅槃に入る釈迦と悲しみにくれる菩薩、羅漢、動物たちを鮮やかな色彩で大画面に描いており、一蝶の力の入りようが伝わってくる。本図は、1886年(明治19年)以前にフェノロサが購入してからはボストン美術館で収蔵されてきた。作品の大きさと経年による劣化ゆえ、同館でも25年以上にわたり公開が実現できなかった。本展での公開に際して、画面の折れや亀裂、汚れ、糊離れなどを改善するために、約170年ぶりに本格的な解体修理が行われており、約1年に及ぶ修理作業の一部は、日本絵画の修理現場を来館者に紹介することを目的として、ボストン美術館の展示室で公開されてきた。このたび、《涅槃図》は初めて里帰りを果たす。海を渡ってから、その作品を実際に見た人はごくわずか。江戸時代の人々が祈り、想いを馳せた、一蝶による幻の巨大涅槃図は必見である。

 

 

ジョン・シンガー・サージェントの「フィスク・ウォレン婦人(グレッチェン・オズグッド)と娘レイチェル」

 

優雅で洗練された肖像画家として人気を博したサージェント(1856~1925)。作家・詩人でもあったウォレン夫人は、光沢のあるドレスに身を包み、ルネサンスの調度を背景にその社会的地位が十分に示されている。制作後すぐにボストン美術館に貸し出されるなど公開の機会に恵まれ、洗練された技巧と内面までをも描き出す肖像画家サージェントの名声を高める作品となった。