こんにちは。
今日もブログをご覧いただきありがとうございます。

罪悪感本を読んで、自分の罪悪感の根源がたくさん出てきました。


まず、たぶん生まれて一番始めに抱えた罪悪感が

女に生まれてごめんなさい。
女らしくできなくてごめんなさい。

この2つです。

これは親から幼い頃に言われたことからきています。

母はわたしを産む前に子供を1人流産しています。
その子は男の子だったようで、無事生まれていれば第一子長男でした。


もちろん子供は男女問わず可愛かったとは思いますが、昭和の両親の感覚では「男の子」は特別だったのでしょう。

その1年くらい後に私が生まれました。
出産直後から軽度の障がいがあり、その後も小4くらいまで身体が弱かった私のことを母は「手のかかる子」だったと今でも言います。
さらに女の子にしては気が強く、近所の男の子達と外を走り回っていたので、両親が事あるごとに「お前が男の子だったら…」と言っていたのです。

幼い私は、親の言葉を真に受けて「私は間違えて生まれて来たんだ」と思っていました。
そしてますます男の子ように振る舞い、女の子として扱われないようになっていきました。

でも当然ながら男の子にはなれません。
その上、私が4才の時に弟ができました。

両親は待望の男の子(間に妹が1人)だったのもあり、典型的な末っ子長男の可愛いがられ方をしていました。
両親には自覚はないようですが、少なくとも私にはそう感じられました。

「やっぱり私が女に生まれたことがダメなんだ」
という思いは年々強化されていきました。


さらに、真ん中の妹が私と真逆の「ザ・女の子」タイプだったこともあり、私は自分がそのキャラにはなれないことに確信を持っていきました。

10代の頃は親に「女らしさ」の類いの説教をされるたびに「好きで女に生まれたわけじゃないのに!」と言っていたのを覚えています。


そんな中、高校受験で希望していた共学校に落ちたため、私立の女子校へ通うことになりました。
この頃には女性や女性的なものがほぼ苦手になっていたので、高校生活は苦痛で苦行そのものでした。

成人してもずっと心の中では「男になんか負けない」と思い続けました。



そんな私が、自分が女であることを受け入れたきっかけは、離婚した元夫の言葉でした。

女性らしくできない、という私に「いいんじゃない?」と初めて肯定してもらえた気がしたのです。
当時は他人軸の真っ只中にいたので「誰かに認めてもらえた」という気持ちから彼に依存していくことになりました。


それなのに結婚後に関係性は変化し、彼が私を肯定することが減っていきました。
今ならこれは私が彼にダメ出しし続けたことと関連していると分かりますが、当時の私には「お前もか!」と怒りしか感じませんでした。


今でも「女は損だ」と思うことはゼロではありませんが、女として生まれたことを諦めとともに受け入れています。

そして、私が女だったからこそ子供達と出会えたんだな、と思っています。

あの頃の私にも「女と言ってもいろいろいるからそのままでいいんだよ」と言ってあげたいな、と思いました。



この手の話は書きながら結構しんどいですね。
ということは書くことに意味があるのかな?
また何か思いついたら書いてみます。


それではまたおねがい