母の命日でした
10年前のこの日
もう全身が痛くて
分からなくなるのが嫌だからと
拒否していたモルヒネを
何度も投与して
朦朧としながらも
母方の祖母や叔母が
仙台に到着するのを待って
全員が揃ってから
母は息を引き取りました
母は痛みの中で
寝るのが怖い。
と言いました
必ず起こすから大丈夫。
と声をかけました
息を引き取る直前
すーっと目を閉じていこうとする母に
何度も何度も
お母さん!!
と呼びかけました
3回くらい
目を開けなおして
でもその間にも足先から
だんだんと体温が抜けていって
とうとう呼びかけに応えられなくなって
みんなに見守られながら
ゆっくり目を閉じました
とてもとても悲しかった
だけど
10年前のわたしは
今よりももっと
拗ねて
自分を責めて
母の愛を信じられずにいたから
母が亡くなった時
悲しみと共に
ああ、もうこの人を怖がらなくて済む。
と、ホッとしました
あれから
ヨガに出会い
自分と向き合うことが
少しずつできるようになってきて
ある時
嫌われてたし
嫌いだと思ってた母のことを
大好きすぎて
でも母が
ものすごく頑張らないと
笑顔にならないから
1番を取らないと
褒めてもらえないから
それをできないわたしは愛してもらえないんだ
って
こんなに怒られるなんて
お母さんはわたしのこと嫌いに違いない
↓
好きでいるのがしんどい
↓
じゃあ嫌いってことにしよう
って
自分の大好きに
大嫌いで蓋をしたんだと
わかった
自分が
自分の中にある大好きに気づいた時
愛してるを認めた時
そして
母も私たちを愛していて
でも自分のやりたいことも沢山あって
理想が高くて
高すぎてその理想になかなか届かなくて
イライラしてたんだなぁと分かった時
盛大に泣いた
10年経ってもまだ
やっぱりお母さんに会いたい
拗ねていて言えなかった言葉を
つなげなかった手を
抱きしめられなかった身体を
もう
母とは満たすことができない
エネルギーでは側にいるとか
魂は死なないとか
慰めてくれる人がいるけど
やっぱり
肉体があるからできることってのがあって
肉体を使える時間は有限
そんな大事なことでさえも
日々のもろもろに追われて
すぐ忘れてしまうけど
思い出すたびに
ああ、躊躇ってる場合じゃないんだった。
拗ねてる場合じゃないんだった。
と、自分を奮い立たせる
何をしたいのか
どんな自分で生きたいのか
ごまかさずに
あきらめずに
正直に
自分を受け入れようと
思い直すのでした