今日の
館林太鼓 達和会の
稽古は
屋台囃子

見学も大歓迎です

寒くないようにして
来てくださいね!

さて、
沖縄ルポ
最終回は
対馬丸記念館です


昭和19年
近づく沖縄での地上戦に備えて
子どもたちには
県外への疎開が指示されました

8月21日
那覇港を出港した対馬丸
那覇市の国民学校の生徒
先生、世話役の大人ほか
1661人を乗せていました



この
子どもたちの県外への疎開は
子どもたちの安全のためというよりは
来る沖縄戦で
足手まといにならないように
ということだったようです

というのも
沖縄からの航路は
多くの軍艦が沈められていて
とても安全なところへの
安全なルートでの疎開とは
言えなかったのです

何人が船に乗っていたか
正確なデータもなく
撃沈されたあとも
箝口令が敷かれ
被害実態調査もされなかったので
犠牲者の正確な数は
今もわかりません

わかっているだけで
1661人中
1482人が亡くなっています

いかだで
何日も漂流した末に
救助された方の
手記や手紙が
記念館には展示されています

沖縄では
対馬丸撃沈の
49日後の
10月10日の沖縄空襲で
さらに多くの人が亡くなり
家を失いました

小さな子どもが
親元を引き離され
船の上で恐怖に襲われ
海の上でさらに辛い思いをしたかと思うと
胸がふさがります

記念館の入り口に
書かれていた言葉の一部を
紹介します

戦争を語るとき、
悲しみと憎しみが生まれます
悲しみの大きさを、
「希望」にかえる努力をしないと
憎しみが報復の連鎖をよびます
しかし、報復の連鎖で
悲しみは癒されるでしょうか?

いま「対馬丸」を語ること、
それはなんでしょう?

いまも世界では報復の連鎖が
子どもたちから
新たな夢と希望を奪っています
この報復の連鎖を断ち切る努力を
一人ひとりがすること
これこそが、
対馬丸の子どもたちから指し示された
私たちへの「課題」ではないでしょうか