べき〖助動〗「べし」の連体形。口語では普通「べし」(1)の意味で使う。
べし【可し】〖助動〗「べき」「べく」の形は口語でも使う。
①当然の意、㋑・・・・のが当然だ。㋺・・・・はずだ。㋩しなければならない。㋥・・・・のが適当だ。㋭・・・・の予定だ。
のに〖接助〗㋑ある事柄から普通に予期する事と反対の事柄が起こる意を表す。㋺後半後件を表現せず、、予期に反した結果になった事についての不満の気持ちを表す。
(岩波国語辞典第三版)
みなさんこんにちは、
「べし」と言えば、まっさきに「夜はねるべし」の名言で有名な原っぱ三人衆のひとりを思い出してしまう佐々木泰久です。
金子みすゞを初めて知ったのは、20数年前ユネスコ山口県大会でのことだったと思います。会場が日本海側の街でした。何市だったか覚えてませんけど( ^ω^)・・・
山口県仙崎村出身の彼女の詩、「私と小鳥と鈴」の一節、
「みんなちがってみんないい」
を読んだ衝撃は、
すっかり忘れていましたが、
お陰様でようやく思い出しました(* ̄▽ ̄)フフフッ♪
「みんなちがってみんないい」
確かにそのとおりだと思う反面、人類共通のあるべき姿もあるはずだという拭い難い思いもあります。
「みんなちがう」の「みんな」の中には、
「みんな一緒に同じようにがんばるべきだ」
という考えの人もいるはずで、その人も「いい」と認めているんですよね。
問題は、普遍的な部分と、異なる部分との境界が、これまた「みんなちがって」いるので、ややこしくなります。
さて、
「『ほめ達!検定公式テキスト』刊行に寄せて」には、ほめ達!の真髄がいくつか書かれていますが、その中に、
「ほめる」ことを人のコントロールに使ってはいけないのです。
というフレーズがあります。
「ほめる」を人のコントロールに使わない。
或いは、
「ほめる」ことは人のコントールに使えない。
というのは、ほめ達!がまさに骨の髄まで沁み込ませておきたい言葉です。
否、
「ほめ達!」に限らず全ての人が、
「他人をコントールしようとしない。」
と思うことはとても意義のあることのように思います。
巷でもよく、
「過去と他人は変えられない。」
と言います。続いて、
「未来と自分は変えられる。」
とも。
「過去」については、変えられる可能性があると思い始めているので、議論の余地はありますが、
「他人」については、変えられないし、変えようとしてもいけないし、変えられるかもしれないと思ってもいけないとさえ思います。
私はこんなにあなたのことを愛しているのだから、あなたも私のことを愛してくれるべきだ。
私がこんなにあなたのことを愛しているのに、あなたは私を振り向いてもくれない。
私たちが人間関係で悩む時、もしかすると「べき」と「のに」の思考に陥っていないか、自分ではどうすることも出来ないことに執着し過ぎていないか、省みることも必要です。
さらに、私たちが悩むほどに、相手は私たちのことを気にしていません。そんな人のことで思い悩むのは時間の無駄というほかありません。
すぐに切り替えるのは難しかもしれませんが、私には私に出来ることをする以外に為すべきことはないのです。
たとえあなたが私を愛してくれなくても、わたしはあなたを愛する。
たとえあなたが振り向いてくれなくても、わたしはあなたを愛する。
つまるところ、
「お前(自分)はどうしたいんだ?」
ってことになるのでしょうか。
称賛を受けたり、感謝されたりしたい
というのも健全な欲望だと思いますので、
だったらそのためにどうしたらいいかを考えようよってことでしょうか。
省みるべきは、他人の言動ではありません。
人はコントロールできないのですから
ところで、辞書に誤字を見つけました(*`艸´)ウシシシ
こういうのを「重箱の隅」というのでしょう((´∀`*))ヶラヶラ
~以下追記~
と、「後半」を「後件」と誤ったんだろう、シメシメと思っていたら、
こうけん【後件】もしAならBだ、というような形の判断の場合、Bとして述べられる事柄。帰結部分の内容。
対義語は、前件
だそうです。
早とちりして誤っていたのは私のほうでした。
申し訳ありませんでした~