https://news.yahoo.co.jp/articles/0c917c2ee380c0882cf930b47454d76724f46602

まさに激震だ。西武は26日に松井稼頭央監督(48)の休養と渡辺久信GM(59)の兼任監督就任を電撃発表した。28日からの交流戦前までで15勝30敗でリーグ最下位に沈み、事実上の解任とみられる。三顧の礼で迎え入れた松井監督に代わって渡辺GMが代行を務めることになった背景には何があるのか。舞台裏に迫った。

【画像】休養が決まった松井監督に辻発彦氏が送ったエール投稿

 この日のオリックス戦(ベルーナ)に5―2で逆転勝ちし、連勝を飾った約2時間後に激震が走った。

 試合後に松井監督は「また一戦一戦やっていきます」と交流戦への意気込みを語っていたが、28日の中日戦(バンテリン)から渡辺GMが指揮を執ることが決定。松井監督は球団を通じて「何とか巻き返しを図ろうとコーチや選手たちとともに戦って参りましたが、指揮をシーズン途中で渡辺GMに託すこととなりました。選手たちの成長を結果につなげることができなかったのは指揮官である私の責任です」とのコメントを発表した。

2013年以来、11年ぶりの現場復帰となる渡辺代行は「松井監督だけの責任ではないですし、私もチームを全体的に見る立場として非常に申し訳ない。そして責任を感じている。私もプロ野球人生をかけて挑んでいきたいと思います」と所信表明し「まだ巻き返せる試合数(98試合)がある。過去にも8月時点で最下位で借金15という年もあった。ファンが応援してくれる限り戦う。6月に入るが、本当のヤマは9月。それまでに借金を返す」と不退転の決意を語った。

 そもそも渡辺代行は松井監督の〝生みの親〟のような存在だった。かねて「松井監督は私が引っ張ってきた」と話していたが、自身がシニアディレクター(SD)だった当時、17年オフに楽天のチーム構想から外れ指導者への道を打診されていた松井監督を15年ぶりに西武へ復帰させた。

 チームからはFAやポスティングで将来を担うべき有力OBが次々と流出。その流れに歯止めをかけるべく、まずは1990年代にチームの象徴だった松井監督を球団に引き戻した。同時に許銘傑氏の二軍投手コーチ就任(20年に退団)で道筋をつけ、20年の松坂大輔氏、豊田清投手コーチを復帰させる〝OB帰還プロジェクト〟の流れに結びつけていった。

 とりわけ監督候補として呼び戻した松井監督には18年から選手兼テクニカルコーチ、二軍監督、一軍ヘッドと王道を歩ませ、昨季から満を持して監督に昇格させた。

 だが、現実は渡辺代行が思い描いたようにうまく進まず、昨季は借金7のリーグ5位。2年目の今季も低迷が続き、ついに緊急事態に発展してしまった。つまり、渡辺代行には松井監督を楽天から呼び戻した〝任命責任〟があったわけだ。

 自ら現場に戻り、火事場のチームを反転させる決意と覚悟が表れた休養劇。これ以上ない劇薬注入で上向くのか――。

2008年にオリックスコリンズ監督に代わり

大石大二朗が監督代行なって最下位からAクラス2位まで上がりクライマックスシリーズで日本ハムに破れた年でもある。

ローズ、かぶれ、ラロッカ、フェルナンデスの破壊力の打線が凄い年でしたねニヤリ