大変なご無沙汰です。
邪馬台国、英語、孫・・・、色々な話をブログで発信してきましたが、一寸マンネリ化した事、新鮮な面白い話が無くなった事等からついPCに向かう機会が減っていました。
現在後期高齢者になっていますが体のほうは変わらず元気で、ジムとゴルフを楽しんでいます。

今回発信する気になりましたのは、このブログの主題であります”大和朝廷はイスラエルの失われた12士族の末裔ではないか?”と言うテーマ、特にそのスタートとなる「12士族は葦の船に乗り、淡路島にたどり着いたのであろう」と言う仮説を裏付ける大変な記述を見つけたからです。
この話は当ブログの「古事記の読み解き」の冒頭でお話していますが;

イザナギ、イザナミの二柱の神が生んだ八島の順序は、12士族が倭国を侵略した流れを示している・・・、従って最初に生んだ淡路島は、”そこへ始めて上陸したことを表しているのではないか!?”

と言う話をしてきました。

つい最近新聞の広告に「元イスラエル大使が語る”神国日本”」と題する本の中に、淡路島の事が書かれていましたので、「もしかしたら・・・」と言う気持ちで直に購入致しました。

著者はイスラエルの元日本駐在大使と言うだけではなく、空手や剣道他日本文化に精通し、一般の日本人人より遥かに日本文化、歴史を研究をし、理解している方です。

紹介したい事は沢山有りますが、今日は淡路島のお話だけに絞ってご紹介したいと思います。
絞っても長くなりますので、主な話を以下箇条書きで記述します。

1. 2700年前に淡路島にユダヤ人が来ていた。
   紀元前722年、北イスラエル王国が滅び、東の果てを目指して民族の移動が始まった。
   淡路島には古くから古代イスラエル人が葦舟の船団に乗って日本にやって来たという伝説が淡路島   にあった。
2. 伝説によればそれら船団は九州、日本海側の丹後他にも着いたと言う。そして淡路島に至った一団   は、自分たちが日本に着いたと言う碑を残した。 
   それが淡路菰江(こもえ)古代ユダヤ遺跡であるとされている。
3. 1935年(昭和10年)、大本教の出口王仁三郎から指示を受けた白石義高がその遺跡を調査し、その   調査結果を1944年(昭和19年)に「聖書に啓示されている合図の旗」と題する勧告書に纏め、日本   政府の情報局総裁を経由し、米英のユダヤ教徒に送られた。
4. 1952年(昭和27年)、上記の勧告書に応じて、連合国総司令部(GHQ) が調査を実施。GHQの従軍   聖職者ユダヤ教の大司教T・ローゼン氏が団長となり淡路島へ。
5. 調査の結果、小磯海岸の岬から遺跡が発見され、大司教により古代イスラエルの遺跡と認定した。   た。その岬は昔から祟りがある岬と恐れられていた。
   その後、日本イスラエル教会の小林孝一会長らが周辺を発掘調査し、ヘブライ語で「聖なる波」と   書かれた30Cmほどの石、ダビデの紋章のついた指輪等が出土した。
6. 2017年(平成29年)5月14日、淡路島で「古代ユダヤ遺跡発掘65周年記念式典と祭典」が開催され   た。
7. この式典にはイザナギ神宮の宮司も参列された。又地元出身の衆議院議員西村内閣官房副長官の    メッセージが代読されたと言う。
   席上この本の筆者も参列し、遺跡の事、日本とイスラエルの歴史に関して講演された。その中で
   この遺跡が発掘された年にイスラエルが日本と国交を樹立したのも両国の深い絆表すものと述べて   いる。

 淡路島の遺跡についての記述を要約すると以上の様になりますが、日本のイザナギ神社の宮司に、政府の高官、そしてユダヤ大司教に元イスラエル大使が出席してのセレモニー、「イスラエルからの難民が淡路島にたどり着いたということが公になったような気がしますが、如何でしょうか?。