イスラマバード発、バンコク経由関空行の飛行機が23時20分なのでイスラマバードから西へ35㎞ほどのところにあるタキシラ博物館、タキシラ遺跡群中のシルカップ遺跡とジョウリアン僧院遺跡を観光する。

 

『タキシラ博物館』

 タキシラは紀元前518年アケメネス朝ペルシャの支配を受け、帝国の一州として出発した。ペルシャの領土がこんなに広かったのかと驚かせられる。やがてアレクサンドロス大王がペルシャを征服し、インダス河流域に侵攻し小王国が乱立していたパンジャブ地方のインド軍を破った。

 しかしどこまで行くつもりか分からない冒険者アレクサンドロスについて行けない、郷愁に誘われた部下たちに反対されたアレクサンドロスはそれ以上のインド進軍を諦めた。これまたマケドニアから、思えば遠くへ来たもんだ。

 マケドニアはギリシアというよりバルカン半島というイメージが強いが、アレクサドロスの家庭教師は哲学者のアリストテレスだったのでギリシア的、コスモポリタンなところがあったのかもしれない。

 

 タキシラの谷に点在する遺跡群。これらの遺跡から出土した化粧漆喰(スタッコ)製の仏像、奉献ストゥーパ、各時代のコインや貴金属、生活用品などがこの博物館で展示されている。

 アレキサンドロスが熱病で32歳で没すると、帝国はプトレ マイオス朝エジプト(最後の王はクレオパトラ)、アンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリアに分裂した。

 タキシラはセレウコス朝からチャンドラグプタのマウリヤ朝の支配するところとなり、第3代目の仏教を深く信仰したアショーカ王の時代には仏教の中心地になった。そのため博物館には仏教関係の遺物が非常に多い。ペルシャ帝国時代の遺物は皆無だが、その後文明の交差、民族の衝突するこの地域の統治はギリシア系のセレウコス朝、インド系のマウリヤ朝、ギリシア系のグレコ・バクトリア王朝、イラン系のパルティアへと変遷していく。有名なガンダーラ美術の時代はパルティアのクシャナ朝の1世紀から5世紀である。ガンダーラ美術はギリシア、インド、シリア、ペルシアなどの美術様式の影響を受けた。

 

 

 

 

 

 金色の仏舎利の中にはブッダの歯が展示されている。

 

 

 バランスのとれた、優美でリアルな表現が美しい。

 

 庭もなかなかいい。ブーゲンビリアが咲き乱れていた。

 

 タキシラ遺跡群の中の『シルカップ遺跡』

 

 

 5世紀にエフタルという遊牧民の侵攻をうけ寺院やストゥーパは完全に破壊されてしまったという。

 

 ストゥーパ跡。

 

 ジャイナ教の寺院跡。

 

 

 

『ジョウリアン僧院遺跡』

 

 ジョウリアン遺跡のストゥーパと僧院の平面図。

 

 階段と山道を10分ほど登る。途中、子供や青年が用水路で水遊びをしていた。田舎育ちの私にはどこか懐かしい風景だった。

 

 主要な遺跡には屋根が掛かっていて若干保存状態がいい。

 

 

 

 

 修行僧の小さな小部屋が並んでいる。中央には1段下がって今はほとんど埋められているが沐浴するためのプールがあった。

 

 

 壁の上からはタキシラの町が見渡せた。

 

 テロに備えてか、自動小銃を持った警官が見張っていた。やはり写真を撮っても何も言わない。問題ないようだ。

 

 パキスタンでの最後の晩餐。

 

 パキスタンの旅行記はこれでお仕舞い。