夏の匂い
夏になりかけのこの時期、夜になるとほんわか香る夏の匂いが、毎年すごく待ち遠しい。この匂いを嗅ぐとなぜかわくわくしてしまうのだ。たぶん夏休みを思い出すからかな?
少し肌寒さの残る今日みたいな日が好きです。
夏といえば打ち上げ花火。毎年浴衣着て、花火大会には行っていたけど、夏祭りって小学校を最後に行ってないなぁ。
今年は彼と麻布十番祭りに行ってみようと思います。
実家のすぐ傍の商店街が、七夕祭をやっていて、いつもガランと寂しいペットショップの前には、金魚すくいをする子供たちの人だかりが。
やったことある人いるかな?
小さい袋を買うと、その中には板状のラムネでできた型抜きが入ってて。
袋によって絵柄が全く違うんだけどね、それを画鋲の針先で周りからゆっくり削っていって、すべて綺麗に削れたら、なんと千円お店の人からもらえるの。
200円か300円で買って、見事に成功したら1000円もらえるもんだから、男の子たちが必死にチクチクと削っていたのが、妙に記憶に残ってます。
きっと上手いコたちは何度も成功して現金かっさらっていくもんで、お店の人がもうからないってやめちゃったんじゃないかなぁ。
金魚すくいならぬ亀すくいで、もなかを割らずにすくえたら1000円ていうゲームもあった。
絶対取れるわけないんだーって言ってた男の子を前にして、見事な手さばきで亀をすくってみせた店番のおじいちゃんの手元を、吸い込まれるように見惚れていた。
友達と連れ立っていったお祭りの記憶が、夏の夜になるとありありと蘇る。アジアの屋台も懐かしいから好きなのかもな、あの気取ってないアジアらしいいでたち、屋台の迷路を探検しているときの高揚感、照らされるライトの中でループするスーパーボールの鮮やかな色、真っ赤なりんご飴、ほくほく湯気が上がるじゃがバタと、買ってすぐ食べるご飯のおいしさ。
自分に子供ができたら、家族で毎年行きたいなぁ。
屋台で好きな食べ物ベスト3は
・すももの水あめ
・じゃがバタ
・たこ焼き
です。
遠出してみたいし
◆やっと車の免許とろうと思い始めました。
我が家は妹含め、私以外全員一台ずつ車を所有しているので、休みになると私だけぽつーんと家に取り残されるという事態が訪れるのです。
ゆっくりした生活が好みの私としては、別にそれでもいいんだけども、ただ、ね。
大学から終電逃して帰ってこれなくなり、毎週泊まる羽目になるのは苦痛ですよ。髄液保存してある冷蔵庫がとにかくゴーゴーうるさくて眠れやしない。
◆でもさ、社会人になったらね、土日の休みを使って旅行とかしちゃいたいじゃん?
金曜日の真夜中に出発してさ。だから、その少ない休みを有効活用するために、車は必要かなーなんてさ。ま、何度か試運転で落ちそうだから、心してかかりやす。
◆ふと気になったんだけど、この日記、細々ながら毎日来てくれてる人が数人いて、一体誰がみてくれてるんだろうと、疑問に思ったのでした。
こんなくだらない独り言日記に付き合ってくれて、どうもありがとう。
そろそろ始まる内定者アルバイトで、新規事業提案に参戦してみようと思います。
さーて、どうなることやら。
そうそ、来月くらいに髪の毛クルクルのパーマーかけます。目指せガーリー。
間違ってもエビちゃんとかみたいにはなりたくないです。あぁいう女性、苦手~。
関係ないですが、先日秋葉原に用があって、ちょろっと立ち寄ったら、メイド喫茶で働かない?ってスカウトされました、もちろんお断りしたけど、とにかくびみょーです。あー、なんだかなー。
会いたくても会えない人
自分が生きていく上で本当に必要だった人が、突然目の前から消えてしまい、その現実が受け止められずに悲嘆し、感情の浮き沈みに悶え苦しむ人。
現実は無理に受け止めるものではないのだよね。
そうなってしまった運命を呪っても、はたまたその人がまた自分の前に戻ってくることを望んでも何も現実は変わらない。
踏みとどまることはいけないことではなく、むしろ存分に引きずるべきだと。
過去を引きずって、自分のした行為を後悔して、傷ついてズタボロになって、這い上がれなくなる寸前までもがき苦しんで、すべてのマイナス感情を吐き出しきった先に見えた、一種の『諦め』という感情こそが、その人を一番癒してくれるのだと思います。
『諦め』ってマイナスのイメージの言葉だけど、これほどまでにすべてを消化し切って未来を見せてくれる感情って、他にないのではないかと、私は思います。
ソーシャルネットワークの世界
繋がることに飢えている現代の人にとって、まさにうってつけのバーチャル世界。
ソーシャルネットワークって、リアルとバーチャルの狭間に位置する、特殊な環境。
現実に会ったことがある人もいれば、全く知らない人も同居しているけど、プロフィールがある程度オープンになっている分、安心感を与えるんだろうな。
あれから抜け出せなくなっている人をみると、寂しい人なんだと思う。
そう、人は誰かと繋がっていると思うことで安心するんだよね。
あの世界にいれば、誰が何をしているのか、日記を通してわかるし、自分がここにいるっていうことも発信できる。足跡をみては、自分に誰かが関心を向けてくれていることに安心して、コメントをチェックしてはまた言葉を求めて日記を書く。
うーん。わからなくもないけど、そうやって救われている人がいる限りは、この世界はなくなることはないんだろう。
その世界から抜け出すことができたら、もっともっと広い現実の世界に目を向けてほしい。だって、世界は広いよ。まだまだ知らないことがたくさん。
危険も多いけど、幸せだっていっぱい転がっているんだから。勇気を出して。
情報操作
最近よく思うんです。
凄いよなー、絶対敵わないよなーなんて思っている人って、周囲が思っているほどに遠い存在ではないんじゃないかと。
その人のことをよく知らないうちは、自分と違う世界に生きて、自分が持ってない能力があって、なんだか仕事もできそうで。とにかく凄いし自分には敵いっこないなんて思っていまうもんだけど、話してみると案外普通の人。
今まで自分の抱いていた人物像とのギャップに戸惑ったりすることなんてよくあるものです。
そう、誰しもだ、適切な距離を保ってその人の活動なり素質なりを見ていると、自分が知らない世界に生きている人は特に、高嶺の花的存在に思えたりするのです。
そのギャップを逆手にとって自分を演出できる人って、実は大物になったりするんじゃないかな。
情報過多は逆にその人の価値を下げます。
適切な量を適切なタイミングで流す技術って、実はマーケティングの世界でも重要で。
人々に適度な渇望を故意に与えておくことが、成功の秘訣だとか。
奥が深いね。
私もよく使わせてもらっている戦法ですが、効果は絶大です。
恋人との関係
◆よくさ、相手に浮気をされたりして不当な扱いを受けているにも関わらず、余計にダメ男にはまってしまい、足を拭い切れない女性っていますよね。
当の本人は、なんでそんな男に騙されるのかしら?って周囲の人が不思議に思う程に、よくできた頭のいい女性だったりします。
あれって一度はまるとなかなか抜け出せなくなるっていう、負のスパイラルをはらんだ現象だったりするから厄介なのですよね。
次に選ぶ男も全く同じような素質を持ったダメ男だったりするので、段々と私っていつもなんでこうなのかしらって思ったりして、心身共に弱っていくことになるっていう…。
往々にしてこういう女性は、自分がいないとこの人はダメになってしまうわ、私がなんとかしてあげなくちゃっていう、アルコール中毒者の妻状態に陥っていることがほとんどなんだけどもね。
ダメ男がいることで本人も自分の存在価値を確かめて肯定されている気でいるから余計厄介。
そんな女性諸君に告ぐ。
◆これはあくまで私個人の意見です。当てはまらない人もいるので、その辺は大目にみてほしいのですが。
ダメ男と付き合い続け、負のスパイラルから抜け出せない女性は、アメとムチの使い方が下手なのではないかと。
◆人はこの世に生まれてたった一人では生きてはいけず、母親の存在は自分に生命を吹き込んでくれ、惜しみない愛情を注いでくれる絶対的な存在として君臨するのだけれども、同時にこの世で初めて自分を拒否してくる存在でもあるんです。
母親はずっとお乳を与えてくれる存在ではない、兄弟ができれば自然と自分から離れていく、つまり絶対的に自分の生命を維持してくれる存在だった母親から自分の思い通りにはならない存在だという事実を突きつけられ、それを理解しなければ人は成長しません。
◆恋愛に置き換えると、このダメ男スパイラルを作る女性は、惜しみない愛情を注いでくれる女性ではあっても、ダメなことに対してNOときちんと言える女性ではないのではないかと思うんです。
NOを言わないことで、ダメ男はさらに過剰なまでにその女性に依存し、浮気など自分が過ちを犯しても、決して否定されることはなく自分を受け入れてくれる存在なのだと、どこかで過信してしまっているんですよ。
完全に母親転移を誘発させていますよね。
◆ダメ男スパイラルから抜け出せない女性の方、自分に非があることが理解できますでしょうかね?
ダメ男を生み出すのも、惹き付けるのも、当の本人に原因があるのではないでしょうか。
そういうのを惹き付ける素質を十分に兼ね備えているんですよ、きっと。
◆よい恋愛関係を育むには、付き合う男性の母親との関係性にまで遡る必要があるかと思います。
例えば、母親との関係がギクシャクしていた男性だったり、幼児期に母親から必要最低限の愛情を受けられなかった男性だった場合、そういった類の愛情に潜在的に飢えていたりする可能性があります。
長続きさせるコツやいい関係を構築するには、この母親転移を上手く利用してしまうのはいかがでしょう。
彼があなたを信頼し切っているなら、その信頼を『あなたは絶対に自分を否定しない存在』から『あなたは自分の非をしっかり叱ってくれ、正しい方向に導いてくれる存在』に改めてみては?
◆世の中で一流といわれるリーダーは第三者に依頼して、自己分析の是非を評価してもらっていたりします。それが独裁に陥らないためには必要だからです。
◆自分のよいところも悪いところも正しく映し出してくれる鏡のような存在になる努力をしてみたら?
彼にとって良き相談相手となれば、お互いを尊重し、助け合い励ましあう、プラスの関係性が保てるのではないかと思います。
帰る場所
◆基本的に人から感情を読み取られることが好きじゃない。もちろん気を許している人は別にして。
怒りとか悲しみとか、そういう負の感情に対して。
だから、すごく落ち込むことがあったときは、極力人には会わないで、落ち着くまで自分でなんとかしようと対処することがほとんど。
◆感情表現が昔から下手くそだ。
両親にすら、私はあまり自分の考えていることや感情を見せることがない。
普段はお互いに空気のように衝突することもなく生活している。なるべく摩擦を作らないようにするのがせめてもの自分の努力。
◆ホームシックってかかる人、多いっていうけど、高校で寮生活をして、同期の子みたいにホームシックにかかることもなく、ゴールデンウィークさえも帰省しないで寮でのんびりしてたら、寮監にお咎めを受けた。
そのとき初めて、普通の人は家に帰りたくなるんだなぁ、なんて思ったりもした。
◆海外や国内をぷらぷら旅するようになって、気づいたことがあった。
私は人肌的なぬくもりや素を見せる場は、恋人や親友以外には求めないけど、精神的な拠り所としては、自分の故郷や部屋を愛している。
というのも、ある期間家を離れると、我が家が恋しくなる。
自分の部屋のベッドで休みたいなぁとか、あのアロマオイル炊いてボーっとしたいだとか、どうしようもない欲求だけど、それでも帰りたいと思うんだから仕方ない。
◆よく一箇所にずっと住むのは飽きるから、定期的に引越しをするって人がいるけど、あれが私にはどうも理解できない。
落ち着かなくないのかなぁなんて。
地元ってさ、なんだかんだで慣れ親しんだ場所だから、お気に入りのスポットでお茶したり、行きつけの店でショッピングしたり、秘密の場所で考え事したりできるし、そういうことをする場所てすごく貴重だよね。
◆まだ勤務地とか決まってないけど、できたら都内がいいなぁなんて思う。
地方勤務はホームシックならぬルームシックの私には相当キツイだろうな。
海外勤務はまずないだろう職場を選んだつもりだけど、最悪どうなるかなんてわからないよね。
どうか、なるべく近い場所で、大好きな人と、幸せに暮らせることを祈って。
好きな人
完璧じゃない人が好き。
恋人であれ友人であれ。
不器用なくらい真直ぐな人になら、素直な気持ちで向き合える。
逆に完璧を装っている人を見ると、破壊してみたくもなる。
見ているだけで吐き気するほど嫌いだ。
嘘を見破ると同時に、狂気的な感情が芽生え始める。
一種の防衛本能に近い。
相手の視線から声、しぐさ、話し方、すべての五感から感じ取れる情報の欠片を、ジグソウパズルのピースをはめるように繋ぎ合わせて。
それでも、どうしても埋まらない隙間を見つめながら、なんだか悲しい気分になってくる。
あちこちから零れ落ちてるんだ、取り繕う隙間もなく、ボロボロと。
今ならわかる。
なぜ、あのとき、優しい気持ちになれなかったのか。
自分に非があると思い込んでしまったのか。
それは、残酷だと嘆く自分と、そうさせてしまっている彼に、大きな大きな嘘という溝があったんだって。
遠い遠い、昔のおはなし。
幸せの種
友人とは行ったことあるけど、好きな人とは初めてだなぁ。
新婚旅行みたいで楽しみです。
職場決定して、来年からやっと自分の力で稼げるのが嬉しいです。ごくつぶし野郎だった期間が長かったので、まずは初給料では両親に旅行でも食事でもなんでもいいからプレゼントしないと。
あと、おじいちゃん、おばあちゃんへも。
決定打は案外、心理的な部分で決めました。
自分が迷いに迷っているときに、お世話になっていたメンターの方が、本を一冊手渡してくれたんです。
それを読んで、あぁ、私はこういう生き方をしたかったんだっけ、と再確認しました。
それができる場が、私が現在選んだ職場です。
恵まれた最高の環境で働かせてもらえるんだし、自分が出せる最大限の力を出し切っていきたいなぁ。
たぶん辛いこともあるから、愚痴も言うだろうけど、それでもね、翌日にはよしって意気込んで出勤したいんです。
そうやって、日々を一生懸命に、生き生きと送りたいんです。
辛いな、とか、何で自分はこんなことしてるんだろう、とか、自分の仕事に誇りがもてないとか、そういうのって、悲しいよね。
そんな生き方にずっと疑問を抱きながらも過ごした数年間だったので、今は純粋に、生きていることそのものが、幸せなのです。
大事な人と生きてくために、大事な人を大切にしていけるように、自分の幸せのために、最後まで踏ん張る。
久々に家の傍をぷらり
そういえば、実家付近を友人以外と目的もなくふらふら歩くのって初めて。新鮮ですね。
なんか日常の一コマなのに、妙にキラキラしてて楽しかったです。
地元のエスニックな店で二人ならんで楽しくランチ。現実と非現実が重なるような変な感覚。なんかくすぐったい。
そっか、前に相手方の実家に出没してマン喫とか居座ってたときも、こんな感じだったわけか、なんて妙に納得したのでした。
また来てね☆
