現時点で(2023年3月11日)
ドイツでの銃乱射事件の犯人が宗教2世であったかどうかは分からない。
※山上被告は「旧統一教会」宗教2世と言われている。
本事件が発生してから24時間も経過していない、現時点でも、
ドイツ国内のみならず、世界中に衝撃が走ったことだろう。
また「エホバか」そう思った方々もおられるだろう。
最近は宗教絡みの凶悪事件が後を絶たない。
そもそも人を救うはずの宗教が、どうしてこのような事件を
引き起こしてしまうのか?もしくは人を巻き込んでしまうのか?
まず宗教と宗教組織(教団)は同一ではないことを理解する必要がある。
宗教の「教え」と宗教組織つまり教団の「教義」は別物という認識が
必要なのだ。分かりやすく言えば、個人として「聖書」を読み、
自分の信念として役立てることは何の問題も無い。
それこそ信教の自由であり、憲法で認められた権利である。
これに対して、宗教組織(教団)とは、宗教を信じた人たちの集まり、
信者集団であり、それには教団の「活動」や「儀式」に参加することが
関係している。当然、金銭的な支持も要求されるのだ。
個人レベルの宗教ではなく、巨大な組織に巻き込まれていく。
個人の「信条」から宗教組織(教団)の「教義」に囚われていくのだ。
「エホバの証人」の「教え」は「聖書の教え」であると教団は主張する。
※教団はキリスト教を標榜しているからだ。
しかし「聖書」に直接書かれていない、明確にされていない「教義」が
存在する。それは教団創立以来、人が考え出したもの、教団が決めた
「独自ルール」であり、それを「聖書の教え」とすることに無理があるのだ。
たとえば「エホバの証人」の代表的な「教義」としては「輸血」拒否がある。
しかし「聖書」の何処を調べても「輸血」拒否するようにとは書かれていない。
当然である。
「聖書」が書かれた当時、医療目的での「輸血」は存在していなかった
からだ。それで「聖書」の「原則」で判断するということになる。
「エホバの証人」の「原則」とは、創世記やレビ記などの旧約聖書の
記述や新約聖書の使徒活動にある「血を避けなさい」が根拠となる。
読めば明らかに「飲食」としての「血」を避けることを意味している
のだが、教団は拡大解釈をして「輸血」拒否を「聖書の教え」にして
しまった。※もちろん「輸血」の危険性は別問題として存在している。
他にも普通のキリスト教会でやっていることの多くが、
「エホバの証人」では「異教の教え」とされている。
分かりやすい例でいえば「クリスマス」を祝うこと、
「誕生日」を祝うこと、「新年の挨拶」をすること、
Happy New Yearも禁止なのだ。
「エホバの証人」では出来ないことの方が圧倒的に多く、
出来ることは殆ど無い。
※宗教3世の女性がメディアで語っていた通りである。
それに加え、「排斥」制度がある。
教団から破門されたなら、血を分けた親子でさえ、兄弟でさえ、
二度と会えない、口を利いてもらえない、孫にも会えない、
という家族内の断絶を生むのだ。これも人権侵害である。
となると、必然的に教団内には抑圧された空気感が漂うことになる。
自分の家族、親しい友人とさえ、自由に会えない、声をかけてもくれない、
抑圧された空気感があり、とてもキリスト教の「教え」とは思えない
冷淡な人間関係が存在するのだ。
ドイツでの銃乱射事件の犯人がどのような人物であったのか、
詳細は分からないが、
抑圧された世界で、人格障害となり、凶行に及んだとするなら、
人を救うはずの宗教が過激な殺人者を生み出すということに
なるのではないか。宗教の「教え」ではなく、教団の「教義」が、
犯罪者を生み出す温床となるのなら、家族愛を取り去り、家族を
バラバラに分断させているのなら、子どもをムチでうち叩き、
虐待しているのなら、その教団に神の愛などあるのか?
神の導きがあるのか?
そもそもカルト教団に真理など無いのではないか。