私は高卒後、2年働いてから正看護師の学校に

行きました(20歳の時)

県立の専門学校?みたいな所で、臨床検査

技術科や放射線技師科などもありました。

県立なので費用が安いのが利点

実習は、あの「死にますよ」の大学病院でしたびっくり

実習期間に入ってから辞めました…(後10ヶ月

を残す所で自主退学)


ちな、准看護師を経て進む正看護師学校では

県内一番の難易度だったらしいが

所詮、当時の看護学校だからナースでフルタイム

勤務しながら短期間の勉強でも受かりました。

難しいといっても一般の大学入試などとは

雲泥の差ですから


今はその頃と違い、難易度の高い学校や

国公立大学に設置された看護科も増えたようです


娘が卒業した地帝にも、娘が受けた前年から

看護科が出来て

初年度のせいか様子見で受験者が少なかった

のか、倍率1倍でほぼ全員合格だったらしいですびっくり

受けさえすれば受かり、地帝卒ナース候補。

実際に受けた層のレベルは知りませんが、ほぼ

合格の試験はその後はなかったと思うので、かなり

ラッキーだったかも

(我が娘は血に弱いので医療系選択はなしでした)



で、私の入った学校の話に戻るが

今思えば教師のパワハラもあったと思います

だって前年度からの留年者が十数人もいたびっくり

私の場合は、私もいけなかったけど

厳しすぎる学校だったので辞める事になった

のは確か


覚えてるけど、学生の人格を否定するような

評定をしてた(看護科の教師がおかしいのです)

評価を書いたものをたまたま見た同じクラスの

生徒が、教えてくれたの

それを聞いて私は心底嫌になったのです

卒業を餌に生徒を支配するような感じを受けて

しまい、自由を譲れない私は我慢ならなくなり

ました(劣等生であったのも確かですがw)

我が夫はじめ、多くの人が辛抱すべきと思う

ような事案ですが


しかし私は辞めた(辞めさせられたのではなく

辞めた)事を、側には強がっていても実際はかなり

トラウマだったようで、10数年間は夢に見ました。

「本当は辞めなくても良くなった」という結末の

夢だから、悔しくて残念だったのでしょう


結果として、早く結婚して子供を産みその後

の人生があるのだから実質、悔いはない人生

だったとしても…

私はこの挫折を克服してないのです


我が家族は、考えてみると挫折が多いです

前ブログにも書いたけど、息子は2年(大学

浪人という名の)ニートしてたし、娘は大学

で一浪、就職で二浪してます(就職第二氷河期)

夫は、某大学校を色弱で落ちてるし(弟は

違う科で色弱検査なしで合格)


ってな具合でスムーズに来た訳じゃないの

よね、家族全員が。

でも夫は夜学へ行きながら国3で働き国2合格

して45年も国家公務員したし

娘も、ここの地方公務員を3回目にやっと合格し

勤めてから結婚(合格時は旧国2から裁事から

国税など5つ受かりましたが)

婿の居住地の地方公務員を受け合格(合格順位

上の方だったらしく代表挨拶もしたとかしない

とか)


私を除いて、挫折を克服し過去のものにしてる。

息子は、卒業した専門学校の分野で高収入を

得ている(メ○サの合格者でもある)

挫折にいつまでも囚われて自分はダメ人間と

思わないのが夫や我が子


私は、いつもダメ人間という思いが拭えない。

いくら職場が(介護福祉系にありがちな)糞な

職場のパートとはいえ、辞めまくった時期が

あったし(全く後悔はないが職場がナニに

しても引け目がある)


つか、何を言いたいかというと1度の挫折に

めげないで(気にしないで)生きてきた夫や

我が子で気が楽になった面があるのは確か


こんな挫折一家でも、ちゃんと再起してる

ので(私以外w)どなたか参考にしてください

って意味で書いてみました

もちろん、能力や運もあるのは否めませんが