どーも!
健康診断で、あの~・・・先生が最後にやる『総括』みたいなヤツの時に
ドキドキしていた・・・そんな雨の日を過ごした矢尾・D・学です(久しぶりに矢尾・D・学って言った)
さて、先日3月11日は東日本大震災から5年が経ちましたね。
5年前ぼくは職場の食堂にいて、いざ食べようとした時でした。
サービス業のため基本的にはお客様誘導などやっていたのですが、、そのお客様対応が落ち着いてからの雰囲気もよく覚えています。
同部署社員が一堂に会し、今後について話し合い・・・結果、1週間くらいでしょうか、お休みになりました。
あの時の日本(少なくとも東京でも)の雰囲気は、なんだか異様でしたね。
もちろん東北では多くの犠牲・被害があって、その1つ1つがとても現実のこととは思えないようで
本当に「言葉にならない」とは、このことでした。
東京では、
夏になれば「計画停電」のアナウンスが流れ、
スーパーやコンビニでお米や電池、トイレットペーパーが品切れになり、
テレビコマーシャルはずっっっっと同じACばかりで、
これだけITだネットだと発達した世の中なのに、多くの風評被害。。。
大げさに言うと僕は、あの時日本がテレビでしか見たことのない「戦争」の世の中じゃないかと
思ってしまうような、、そんな異様な雰囲気を感じていたのを覚えています。
現に今では「戦前」「戦後」と表されるように
「震災前」「震災後」の境で表される事がありますよね。
それは、どれだけ日本にとって大きな事かという証拠だと思います。
僕はあの数か月後に大学時代の友人、東北出身の阿部直樹氏から「チャリティーライヴ」の誘いを受け歌いました。
すごくすごく考えました。
幸い家族や親せき・友人にも被害が無かった自分が何がチャリティーだと、
10年以上音楽やってはいるけど、有名でも無い自分が何がチャリティーだと、、
でも、多くの報道・ネットでの情報を目にし、胸が苦しくて「何かをしたい!」って想いは増していく。
でも「お前に何が分かるんだ」と言われてしまえば、それまでだし・・・
ライヴはやらせてもらえたけど、未だに何が正解なんて分からないです。
手前味噌ですが、
2011年当時の日記でも僕は言っていました、「答えを探し続けよう」と。
今でもそれは変わってなく、
死ぬまで僕は足掻いて、もがいて、抗って、、
でも、
それそのものを楽しんで生きる。
それが残された僕らの使命ではないでしょうか。