赤毛のアントニオ | 常常日記

赤毛のアントニオ


 そう、それからつい今しがた思いついたことなのですが、あなたのこよなく愛したヴァイオリニスト、「赤毛のアントニオ」の楽譜を同封しようと思います。
 覚えてらっしゃるでしょう。 ヴェネツィアの孤児院で司祭をつとめるかたわら、サンマルコ大聖堂のオーケストラで魔法のようなヴァイオリンを弾いていた、あの赤毛のアントニオのことですよ。
 あのころは彼もまだ若く、孤児たちにヴァイオリンを教える風変わりな司祭でしたが、そのうちくろうとはだしのシンフォニアやオペラを作曲しはじめ、とうとう全ヨーロッパを走り回るような大音楽家になってしまいました。
 嘘ではありませんよ。 用もないのに画学校のアトリエにやってきては、つまらぬ冗談ばかりとばして私たちを閉口させていた、あの赤毛のアントニオです。 カフェフロリアンでは手品のようなカードさばきでいかさまばかりやって、罪もない画家や楽士から金をまきあげていた、あの真赤な巻毛のアントニオヴィヴァルディのことです。
 そういえばあなたは一度、とうとうあの悪い冗談に業を煮やして、彼をリアルト橋の上から真逆様に突き落としたことがありましたっけ。そのくせ興が乗れば、仲良くヴァイオリンとオルガンの合奏をしていましたっけ。
 さて、おびただしい彼の作品のうち、いったいどれをお送りしようかと考えた末、私の大好きな、かつ彼の代表作とされるところの協奏曲「四季(Le Quattro Stagioni)」を同封します。
 これはボヘミアのフォンモルツィン伯爵に捧げられた名曲で、1725年、つまりあなたがヴェネツィアを去られてから十年後に、アムステルダムで出版されたものです。 発表したとたんにたいへんな評判をとり、ルイ15世の御前でも賞賛をうけたということです。
  ボヘミアの貴族に献呈しながらオランダの業者から出版し、なおかつパリの宮廷で演奏してしまうとは、いかにもあの赤毛の司祭らしい調子の良さですが、作品そのものはたしかに傑作です。
 ちなみに私は、ヴュルツブルグ宮殿の天井画を描いている最中、いつも弦楽奏団を足元に座らせてこれを演奏させ、イメージを喚起し続けておりました。 ヴィヴァルディの音楽には芸術家の魂をふるい立たせる、ふしぎな力があります。
 このたびのヴェルサイユ宮の修復作業でもぜひこれをやろうと思うのですが、さてそこは鼻柱のお強いルイ王のこと、ヴェネツィアの老いぼれごときのわがままを、はたしてお許しになられるでしょうか。
 お手紙によればあなたの敬愛するチナの盟主、カオルン皇帝は、ルイ王から贈られたチェンバロを上手にお弾きになるそうですね。 見知らぬ都の宮殿にヨーロッパの四季を巧みに写しとったこの曲が流れ、またヴィヴァルディ本人さえかぶとを脱いだあなたのオルガンが、異国の教会堂にこの曲を鳴り響かせる様子が目に見えるようです。
 残念なことに、アントニオヴィヴァルディは1741年にウィーンで客死しました。
 生涯に500曲に余る作曲をなし、5万ドゥカートを稼いだといわれる型破りの天才は、どういうわけか名声にかまけて聖職者であることも忘れ、浪費と放蕩三昧の末に無一文で死んでしまったそうです。
 この曲がお気に召したなら、どうか彼の煩悩と芸術家の魂のために、祈りを捧げてやってください。
 天才であった彼は、その天才のために人々から忌み嫌われ、ローマ教会からも見放され、その貧しい葬儀にはサントステファーノ教会のたった6人の少年聖歌隊が、古めかしいミサ曲を添えただけであったそうです。

浅田次郎「蒼穹の昴 2」P.322-325より抜粋


常常日記
Francesco Bertos: Le Quattro Stagioni, Marmo bianco di Carrara, Dimensioni: cm. H.77 x L.56 x P.40. Galleria Altomani & Sons