前記事からの続きです~

 

 

次は、加藤清正公によるガイドツアーへ

 

加藤清正って聞いたことあるなって思ったら、

 

明治神宮のパワースポット

 

「清正井(清正の井戸)」

 

 

安土桃山時代から江戸時代初期、

 

豊臣秀吉の子飼いの武将で、秀吉の小姓から家臣へ、

 

家臣から豊臣家の筆頭へと成長。

 

 

江戸時代に入ると家康に気に入られ、

 

関ヶ原合戦の功名より肥後(熊本県)に領地を与えられ、

 

初代・熊本藩主の地位を与えられ、

 

さらには、家康の居城・江戸城付近(=現在の皇居)にも

 

別邸をも与えらえれるほどに。

 

 

城造り・治水・干拓の技術にも優れていて

 

「築城の名人」として、「熊本城」や「名古屋城」などを築城し、

 

「土木の神様」とも称されていました。

 

(清正の井戸も、清正が建築したと言われている井戸で

私も一時期、携帯の待ち受け画像にしていましたキラキラ

 

 

概要説明会のときにちょっと隣の方と喋ったら、

 

めっちゃ清正公に睨まれて(笑)

 

ユーモアがある方だなあって思っていたら、

 

三択クイズ形式など参加型で、

 

家康公とはまた違う楽しさがあるガイドでした。

 

 

 

まずは、みんなで”えいえいおー”と

 

ガイドツアーの士気を高めます。

 

大きな石の上で築城の指揮をとったとされる

 

清正公の銅像の前で。

 

で・す・が、実際には、清正公自ら石を運んだりと

 

指揮はとっておらず、家臣に対して

 

金やお酒を振る舞ったりと激励にやってきたという話。

 

 

城壁には、たくさんのマークがあって、

文字が掘られているものも。

 

運んできた当主がわかるように

それぞれ自分の手柄を表したもの。

 

大きな石は、加藤清正公が手掛けたといわれていて、

馬に乗った目線に合わせた高さに埋め込まれているのだそう。

 

*時代劇によく出てくるような大きな馬ではなく、

 実際はポニーほどの小さいサイズだったんだとか。

 

 

清正公が最後に印象深い一言を。。。。

 

『有名な武将たちの下で働く家臣たちの思い、そういうものも

是非、皆に広めてほしい。。。。

そして是非、歴史に興味を持ってほしい。

地元の神社仏閣に興味を持って調べてみたり、

家系図をみてみるともしかしたら、

有名な歴史の人物と関わっていたり、

新たな発見があるかもしれぬ。』

 

 

蛇足ですが、

 

セロリや納豆を世に広めたのは

 

清正公だったんですって。

 

死因は梅毒だのいろいろ言われているけれど

 

胃がんだったそう。。。。

 

 

400年前の清正公と話してる気分でした!

 

 

快晴で気持ちがよかった~~~

 

美しい唐破風のこけら葺の屋根の玄関の奥には

 

天守閣がみえます。

 

(*現在、木造改築工事中につき、入場不可)

 

 

最後にみんなで記念撮影キラキラ

 

この”名古屋おもてなし武将隊”の

 

皆様のなりきりぶりが凄いので

 

当時の戦国武将と話している気分にすらなってきます。

 

 

通常ガイドより臨場感があっておもしろかった~~~~~

 

 

途中、”二の丸茶亭”にてお抹茶を頂きました♪

 

 

あじさいを模した和菓子と一緒に♪