お昼ご飯に 美味しい三輪そうめんを食べて
元気を出して自転車を漕ぎます

35分くらい 走って
談山神社の大鳥居に到着
大きな鳥居、この奥に見える山の上に談山神社があり、ここから歩いて2時間くらいかかるようです。
しかも標高560mくらい。。
中大兄皇子が中臣鎌足と蘇我入鹿を打つ相談をした神社なので「談山神社」というそうです

私の目的地は 談山神社ではなく
こちら


紫陽花に彩られた 聖林寺


聖林寺略記
 聖林寺の創建は古く、奈良時代(和銅五年・712年)に談 山妙楽寺(現談山神社)の別院として、藤原定慧(鎌足 の長子)が建てたとされています。次第に、戒律と祈祷 の寺として知られるようになりました。安産・子授け 祈祷は大要を真言密教に拠りながら独自のものが有 り、その霊験は広く知られるところです。国宝で有名 な十一面観音菩薩は、慶応四年(1868年)に大御輪寺(大神神社の神宮寺)より移され、フェノロサ、岡倉天心ら によって開扉されて以降、その美しいお姿は多くの 人々を魅了してきました。門前からの眺めは卑弥呼の 墓とも言われる箸墓などの大和盆地の古墳群、山辺の 道、三輪山を一望のもとに見渡すことができます。













まず 観音堂に国宝を拝みに行きます。
 ●国宝    十一面観音菩薩 

木心乾漆像、天平時代の作 760年代に東大寺の造仏所で造ら れ、その願主は智努王(天武天皇の 孫)とする説が有力です。かつては 四天王に守られ、前立観音の他、左 右に多くの仏像が並び立ち、背面に は薬師如来一万体が描かれた板絵 がある荘厳の中にまつられてきま した。宝相華唐草の光背(奈良国立 博物館に寄託中)は、長い年月によ り大破していますが、華やかで見事 なものであったと想像されます。均整のとれた仏身、豊満な顔立ち、 量感のある上半身、優婉な纏衣の 美しさ、微妙な変化をみせる指先等、 ミロのヴィーナスとも比較される 仏像彫刻の優作です。


十一面観音は、もとは三輪山の神宮寺の一つ「大御輪寺(だいごりんじ)」の仏さまでした。大御輪寺は大神神社の最も古い神宮寺として奈良時代中頃に設けられ、十一面観音はその本尊として祀られてきました。
明治政府の神仏分離令による廃仏毀釈を免れるため、慶応4年(1868)5月16日、大御輪寺と親交の深かった聖林寺に移されたといわれています。


明治20年(1887)、アメリカの哲学者フェノロサによって秘仏の禁が解かれ、人々の前にその美しい姿を初めて現しました。(それまで1000年以上?  布でぐるぐる巻きで守られていたらしい)
フェノロサはその美しさにたいそう驚き、門前から大和盆地を指して、「この界隈にどれ程の素封家がいるか知らないが、この仏さま一体にとうてい及ぶものでない」と述べたと伝えられています。
本堂脇の厨子は、十一面観音のためにフェノロサらが寄進したもの。内部に滑車を付け、火事などいざというときに外に運び出せるよう可動式になっており、文化財保護施設の魅とも言うべき工夫がなされています。




私は、今まで建築、絵画に興味はあって、仏道には興味がなかったのですが、この十一面観音菩薩の本物を見てとても魅せられました。右手がとても美しい😍✨
聖林寺のパンフレットの表紙になっています




 
次は本堂へ
子安延命地蔵菩薩本尊は、江戸中期に造られた丈六の大石仏、安産・子授けの祈願として有 名です。左右の掌善・掌悪童子とともに地蔵三尊の形式をとっています。

地蔵菩薩の右には
厨子の全体に写真は撮っていなかった💦
西陣織で織られた十一面観音菩薩に近寄って近寄って見てました(*^^*)
錦糸が綺麗です
ガラスにも入って無くて、生で見れて、素晴らしかった💕💕💕



眺めも良いお寺です





とっても 奈良っぽい(私の感想)風景です
柿の木が植わってるおねがい

聖林寺を後にして
さあ  この地域が 今回来てみたかったところなのです〜


🚴つづく🚴‍♀️