神戸から東日本へ
復興のシンボル曲


阪神淡路大震災直後に作られ、
今日までの16年間、
神戸の方々が大切に歌い継いできた曲「しあわせ運べるように」。

神戸の再生を願う「復興の歌」として
鎮魂と希望を込めた「心の歌」として長年親しまれてきたこの曲が
今、神戸から東日本へと広がっています。


   *


阪神・淡路大震災から約1カ月後の1995年2月27日、
兵庫県神戸市立吾妻小学校で小さな発表会が行われました。

避難所にもなっていた吾妻小学校の校庭に
児童約200人が電子ピアノを取り囲むようにして集まり、
避難住民、ボランティアの方々と一緒に合唱をしました。
この日、初めて「しあわせ運べるように」が披露されたのです。

小学生の澄んだ歌声が被災地に響き渡り、
たくさんの方々が涙されました。


その後、
神戸市にある180近くの小学校や
1月17日に神戸で行われる追悼式典でも歌われるようになり、
成人式では参加者全員で合唱をすることもありました。
また、新潟や中国、イラン、アルジェリアでも歌われるなど
神戸から日本、世界へこの曲が届けられています。



子どもたちの歌声で街を包みたい


「しあわせ運べるように」を作詞・作曲したのは、
当時、神戸市立吾妻小学校で音楽を教えていた臼井真先生。

震災で東灘区の自宅が全壊し、先生自身も被災されました。
吾妻小学校で避難住民の方の対応をしながら
身を寄せていた親戚宅を往復する毎日。

神戸で生まれ育った臼井先生は
すっかり変わり果てた街を目の当たりにし、
数々の思い出が失われ、絶望感で胸がいっぱいになりました。
そのとき、こんな思いが頭をよぎったのです。

「子どもたちの歌声で、壊れた神戸の街を包みたい」

「生まれ育った神戸の復興のために
自分ができることは、音楽で表現することしかない」

臼井先生はそばにあったB4の紙を急いで取りました。
鉛筆で歌詞を走り書きし、メロディーを加え、
この曲はわずか10分で生まれたのです。



臼井先生は、音楽を通して
やさしさや人の心の痛みがわかる子、
目に見えないものの美しさがわかる子になってほしい。

そして、小学生のときに何かに心が動かされて
感動できる子、涙を流せるような子になれれば、
大人になってもいろいろなことに感動できるような人になるだろう、と思い、
約30年間、子どもたちへ音楽を教えています。

現在では、阪神淡路大震災を体験していない子どもたちも
この歌を通して多くのことを学んでいます。


   *


東日本大震災後、
未来への希望の象徴である子どもたちが歌い、
被災地のさまざまな場所で広がっているこの曲を
ぜひ聴いていただければ幸いです。

神戸の皆さんが大切に歌い継いできた
「しあわせ運べるように」が
東日本の方々をはじめ、日本中の方々に知っていただき、
「復興の歌」として日本各地で歌われ、
「心の歌」として多くの方々の大切な一曲に
なれればと願っています。


「しあわせ運べるように」事務局