親としてあるべき姿。 | やぎさんゆうびん。

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やぎからのお手紙、不定期でお届けします。


また連続で重いタイトルになってしまいました。
先日の佐世保の事件。
どうして、あんな痛ましいことが起きてしまうんでしょう。

自分の子供が産まれた時、大抵の親はどのように育ってほしいか考えます。
時にはその願いを名前に託したり。

願いは様々です。
人に迷惑をかけないような子に。
心の美しい子に。
強く、たくましい子に。
優しく、正しい子に。

誰だって、自分の子供が不幸になったり、他人を不幸にするような子に育ってほしくないし、もちろんそんな子に育てているつもりはないのに。

どうして、あんな恐ろしいことを考えてしまう人間になってしまうんでしょう。

異変に気づいていたなら、親だけでなく周囲の人間がもっとフォローすべきだった。
なぜ未然に防げなかったのか。
など、事が起きてからメディアは騒ぎ立てますが、実際は事が起こらないと警察も学校も医師もそこまで介入できないことだと思います。

本人に心から向き合えるのは、本当は親にしかできないことだったんじゃないか。

自分の子供が周りの人を傷つけるようなことをしていたら、刺し違えてでも止めるべきは親。
なのに、親は我が身可愛さにその役目を放棄した。

‥というように思えてなりません。
とは言っても所詮たらればの話だし、あくまでメディアからの情報なので、本当のところはわかりませんが。

しかし、一家族の大切に育てられてきた子供が、その未来が永遠に奪われたことは事実。
そのご家族の心情を思うと、私自身も子供を持つ親として言葉になりません。

我が子が産まれた時、それはそれは小さくて、ちょっとしたことで息を止めてしまいそうで、怖かった。
でも本能の中で、「この子だけはどんなことがあっても守ろう」と考えました。
私は清く正しい親にはなりきれないかもしれない。
でも今日この日のように、この子が私を必要とする時はいつでも手を繋いで、迷った時は一緒に考えていこう。
と思いました。
それは理想論かもしれない。
現実はそんな綺麗なことだけじゃないかもしれないけど。
今この気持ちを忘れずにいようと、思いました。

親って、そーゆーもんじゃないのかなあ。