<足立元気堂22<じーじの泣いてたまるか・その12)「80数年ぶりに再会した幼なじみ」>


<西ロ
a足立区皿沼にある特別養護老人ホーム【さくら】で、80数年後、再会した二人のおばあちゃんの話です。
一人は、よしこさん(YKさん)98歳と、ちよさん(KIさん)90歳のお二人のお話です。お二人とも

皿沼皿沼近辺で、生まれ、育ち、そして、足立区の北西部に位置する皿沼地区にある特別養護老人ホーム【さくら】で、暮らしています。そして、私は、。8年前、脳梗塞を患い、その後遺症として、左半身不随になり、車椅子生活を
強いられており、
華族が旅行などで、留守にする時に、ショートステイのサービスを利用させてもらっています。【さくら】で、週1日、さくら】のデイサービスで入浴とリハビリを受け、、また、ショートステイ(短期宿泊サービス)も利用させてもらっています
でですから、【さくら】に入所していらっしゃるお二人は、顔見知りであるばかりか、世間話や雑談をする気さくなお仲間です。
また、ある時、よしこさんが「昔、ちよさんをこのあたりで見かけたことがある」と、聞きその記憶の良さにびっくりしたこともあった。

足立区には、奥州街道(日光街道)が貫き、古来交通の要所で、いまも、都心から首都高速が伸びて、東北、東関東、信越にいたる高速道路につ繋がる交通の要所であり続けており、

また新交通システム「日暮里・舎人(とねり)ライナー」が、区の北西部(皿沼あたりの地域)の人を都心に運ぶようになって、かれこれ、7年たちます。
ところで、高速道路を走る車や新交通システムの窓から見える景色に、田圃や畑が目立ちます。これをして、足立区を農村地帯と思う人がいるかしら(?)

でも、し「かし「将来、来るかもしれない【食糧危機】に対して、東京の食糧自給率アップに貢献しているんだ」と、考えてみては、どうでしょう(笑)。
つまり、近代的交通インフラと田園風景が場妙にバランスよく調和してるのが、足立区じゃないか」と、考えます。


さくら】の南はバス東通りで、その向こう側は、谷在家団地の棟が並んでいますが、ここは、かつて畑だった。日暮れ時、あたりがくらくなって、闇に浮かぶ団地を眺めていると、
そしてその広大な地を這うようはりめぐらされた畦道(あぜみち)を。近所に住むこの二人の少女が、声を上げて夕暮れまで、飛び跳ねて遊んでる姿を、想像したりすると、私も楽しくなりますが、
お互いが旧知の仲だと気が付くまで少々、時間が必要だったようです。
だって、80年のへだたりは、面影は、残っていても、姿を大きく変えてしまって、軽く声を掛け合う間柄では、なくなってしまっていたでしょう。つまり、同じ屋根の下で暮らしているのだが、お互いを認識できないと、幡から見るとなにか、もどかしい状況だったでしょう。
ところが、ある日、「あっ、あなたは、あのっ」と、お互い、気付きあうことができたことがおきました。それは、今年(2015年)8月のある日、よしこさんの98回目のお誕生日に置きました。

k【さくら】では、入所者のお誕生日に、お祝いのお誕生日会をおこないます。
お誕生日会と、言ってもけっして、仰々しいものでなく、お誕生日を迎えた人を数人の入居者が囲み、『ハピーバースデー』の歌を合唱し
介護職員が当人の写真を貼った手作りのバースデーカードとささやかだけど心のこもった品をプレゼントします。
その日も、よしこさんに、プレゼントがわたされました。そして、『ハピーバースデー』を歌う輪の中にちよさんの顔も見えました。

そして、プレゼントがよしこさんにわたされた時、その場にいたみんなの目がよしこさんに集中されます。その時。ちよさんの表情が一瞬輝いた様にみえました。
何か大切なことを急に思い出したような表情だったように見えたのです。
すると、、、お二人が、車椅子をご自身でこぎつつ向かい合って近づき、ほぼ同時に
『元気?』『長生きしてよかったね』と、声をかけてらっしゃいました。
まるで、幼い時、『長生きしよう』と、約束をしていて、数十年の年月を隔てた今その約束を確かめ合っていた様でした。しかも、同じ皿沼という場所で、起きたわけですから、
「まるで、奇跡じゃないの」と、思っても大げさじゃないでしょう。