長い不妊治療期間を経て、
死産の2年後に第二子(対外的には第一子)の出産を控えた今でも、
最初の子のことを思わない日はありません。
その子のことを無かったことにするのが私にとって一番寂しいこと。
実際、無かったことのように振る舞わなければならない場面の方が多いです。
周りから見ると、今、膨らんだお腹にいる子が、私の第一子。
最初の子のことは隠したいわけではなく、
相手に気を使わせてしまうからわざわざ言わないだけ。
妊娠も、つわりも、名付けも、喜びも、
『初めて』ではない。
死産から2年経ち、
最初の子のことは悲しい記憶ではなくなっています。
ふと考えると今でもすぐに涙が出るけれど、
それは悲しみからくる涙ではなく、
愛おしさからくる涙だと思う。
考えるだけで胸を熱くする存在が、
心の中で生き続けているって、
とても尊い。素敵なこと。
とはいえ、
再び授かり順調だと言えるまでは、
不妊と不妊治療のストレスで情緒不安定だったけれど。
そんな中でも私も支えてくれる癒しの存在でした。
順調な今でも、
第一子の存在は癒しです。
天国に行ったあとに、
服やベビーグッズを少しずつ、
買ってお供えしていました。
次に授かったなら、
おさがりとして使おうと思っていました。
だからうちには、
可愛いおさがりがたくさんある。
もうすぐ、おさがりとして使える日が来ることは
とても嬉しいことだけど、
もし来なかったとしても、
買っていて良かったと思っています。
形見として残っていることで、
存在を強く感じることができるので。
私にとって2年前の死産は、
このような経験になりました。
改めて、ありがとうと思います。
もし今、誰か、
妊娠を継続できなかった深い悲しみの中にいる方がこれを読んでくれていたら、
あなたの子もきっと、
存在の意味のある素晴らしい子だと思うということを伝えたいです。