今私は、

不妊治療お休み期間です。

先に進めないもどかしさはあるものの、

「今度こそは!」「またダメだった」

の繰り返しによるストレスが、

治療漬けの日々よりは、

少ないです。



だからでしょうか。



自分が生きる姿勢に関して、

客観的に見つめることができるようになりました。





不妊治療中の私は、

「子どもがいない自分が嫌でしょうがない」

「不妊治療している現実が辛い」

「子どもがいない未来に絶望を感じる」

そんな気持ちが常にあり、

頭の中が不安劣等感で埋め尽くされていました。



でも治療に通っていない今、

少しだけ心に余裕ができて、


子どもがいない自分...

願いが叶わない自分...

その、あと一つ外側から自分を見ることができました。





どういう意味かというと、





「どう生きたいか」の答えを、

子どもを産み育てたい」と即答するのではなく、


「(今子どもがいない現実の中にいる自分が、)どういう人間でありたいか」

を考えてみているのです。



前者とはちょっと視点が違います。




それは、


どんな人になりたいか。

どんな人をかっこいいと思うか。

どんな人にあこがれるか。



こういうことを考えると、

イメージしやすいです。



私はこう思いました。↓↓



子どもがいないことに劣等感だらけの人よりも、

子どもがいないなりに楽しく生きているの方がかっこいい。


えらそーな人よりも、

謙虚な人の方が

人間的に素敵。


人の悪いところを陰で指摘するよりも、

人に対しておおらかで裏表なく笑っているの方が

信頼できる。




こんなふうに、

子どもを産む以外にも、

こうありたいという姿が見えてきました。



見えてくると、

結構気が楽になりました。




諦めることなく執着を手放すには、

いい方法だなと思いました。




子どもを産み育てたい」という種類の願望と、

こんな人でありたい」という種類の願望を、

両方持ってたらいいのかもしれません。



「こんな人でありたい」という願望は、

「こんな人であろう」という目標であり、

今すぐ目指せますから。



どんな思考でいてもどんなに必死に妊活しても、

妊娠しないまま同じように時間が過ぎていくなら、

一つでも願望が叶った方がいい。




これがつまり、

現状を受け入れるということであり、

受け入れた方が良いと言われる理由なのかも。




そんな気づきをした、

39歳、春。




忘備録として書いておきます。