子宮に残っていた絨毛組織が、

産後4ヶ月で完全になくなりました。


産後2ヶ月目の内診で、

まだ残っているから次の妊活ができないと言われた時は大分ショックでしたが、


前向きに自分の時間を過ごすことを心がけているうちに、

無事に残っていた組織が自然と消えて、

胸を撫で下ろしました。



これでもう、

娘を産んだ大学病院には行かなくて良くなりましたが、

今度はそのことが寂しくて涙が出ました。



人工死産するために入院した病院。

思い出は悲しみだけではありません。


娘がお腹にいた2日間。

娘を人工死産した1日。

亡くなった娘と過ごした2日間。


合わせて5日間。

思い出の病院です。

ほんの4ヶ月前のことです。


生きた子のように話しかけてくれて、

私を母親として接してくれた助産師さん・看護師さんたちのおかげで、

私は幸せな母親になれました。


今も幸せな母親です。




決して幸せを自慢したい訳ではありません。

前向きに考えられた時、その気持ちをあとから思い出せるように記録したいからブログに書いています。



もしかしたら嫌な気持ちになる方がいるかもしれません。

妊娠したくてもできない辛さを感じておられる方は、ここから先は読むのをお控えいただく方がいいかもしれません。


















不妊治療を始める前、

そして始めてから、

妊娠したくても何度も何度も叶わず、

生理がくる日々。

とても辛かったです。


あの頃の私を、

他の誰にも救えなかったです。

それを、小さな命が救ってくれました。




不妊治療の末、37歳で初めての妊娠。

無頭蓋症がわかり、38歳で死産。


子どもが欲しくてたまらない過去の私が想像したら絶望的でドン底の人生ですが、

実際はそうではありませんでした。



短い命でも感謝しています。

こんなに娘の存在に幸せを感じられるのは、

不妊治療をしていたからかもしれません。

38歳だからこそかもしれません。

子どもが欲しくてたまらない私だったからこそかもしれません。


もし、苦労せずに授かった命だとしたら、

短い命であったことに対して、悲しみしかなかったかもしれません。



いつしか私は、

日常の中で小さな幸せが起こるたびに、

この幸せは娘がプレゼントしてくれたんだと思うようになりました。

私を喜ばせるために。



本来子どもは親を幸せにするために産まれてくるわけではありませんので、

子どもに求めてばかりいたら母親としてダメダメですけど、


それでもたくさんの母親は、

子どもが元気に生きていてくれるだけで幸せだと言います。

過去の私はそれが羨ましかった。


だからというのもあり、

私は子どもが欲しくて欲しくてたまりませんでした。


そして待ちに待った赤ちゃんを、

ようやく授かって夫婦も親も大喜びしていましたが、

妊娠4ヶ月で天使になってしまいました。


それはとても悲しいことですが、

私も夫も受け入れました。



そうしたら分かりました。

生きている子とはまた違った、

天使は天使にしかできないやり方で、

幸せを私に与え続けてくれている、ということを。



幸せって笑うことだけですか?


私もまだ、赤ちゃんを見たり、出産したばかりの友達と会っては泣きたい気持ちになります。

実際、涙が溢れます。


でも泣きたい気持ちが起こると、

そばにいる娘のことを感じることができます。

だから悲しみとともに喜びも感じます。

悲しみがあるからこその喜びかもしれません。


娘は私に幸せをプレゼントし続けてくれています。


私も娘に幸せをプレゼントしたいです。


娘の幸せが、

私自身が幸せでいることならば、

幸せでいる努力をして、

幸せを感じる考え方を磨いていく。



このような、

私を生涯助けてくれるであろう思考の転換のチャンスさえも、天使になった娘が私にくれたものです。


ちょっと、親孝行が過ぎやしませんか。


という私は親バカですが。


人生って奥深いですね。




もし娘がお腹に来なかったら、

(娘は体外受精で授かった子なので、胚移植した受精卵が着床しなかったら)


その後、残っている受精卵で、

今日までに妊娠するチャンスが6周期もありました。


となると、

今頃妊娠できていたかもしれません。



だからといって、

娘がお腹に来なければ良かったのにとは思わないのです。


お腹の中でしか生きられなかった娘。

戸籍に乗せられなかった娘。

人に存在を知ってもらえなかった娘。

それでも、

大切な子です。



悲しみがあふれた時に思い出すために、

この気持ちをここに記します。



天使の歌声ピンク音符