こんにちは!
MIEKOです。
散歩途中の風景。
書き始めたけど、全然筆が進まない(タイピングが進まない?タイピングでもないか。入力?風情のない言葉になっちゃうなぁ)。
前回投稿した、唐突に見た母の夢。
そんなことに関係あるのかないのか。
最近の私がざわつく案件は、
母親と子どもの関係性が近すぎるなと感じる時。
親が子どもを構いすぎるなぁって感じて、
過干渉だなと思う。
ほっといてあげれば良いのに、と。
私は何を否定してるのだろう。
というところから、自分で掘り下げてみた。
親の子に対する過干渉が、ダメ?
干渉されて嫌な思いをしたことはないけど。。
過干渉は、子どもの意思や自立を妨げる、と思ってる?
まあ、多少。私は避けようと意識してきたところ。
なぜ?
なぜ、そこを強く意識してきたの?
子どもは神様からお預かりした存在なので、私物ではなく。社会に健全な大人として返すまでが、親の役割、と思ってた。
うん、
実際そう思ってた。
5歳の娘に、「お父さんとお母さんは18歳でおじいちゃんおばあちゃんの家から出て一人暮らしを始めたから、あなたも18歳になったらこの家から出て自立しなさい」って言って、大泣きされた。
自立、独立を求め過ぎてるよね。
今なら、客観的に、少し先走ってるなあって思う。
その根底には、どんな思いがあったのだ?
私には。
子どもながら、母親に相談なんてしたことがなかった。この人は、答えられないだろうって思ってたから。
私の学校での様子や成績や行事や提出物や、そういうことをあれこれ心配したり、自分から興味を持ったりとかがない人だった、と私は受け止めてた。
なので、母の日の手紙の返事も自分で書いたくらい。
そのおかげで、精神的に、小さい頃から自立した子どもだったと思う。同級生と話が合わなかった。合わせてたなと思う。
この辺までの内観は過去にもやってた。
けれど、一度やってるのに、今回ここまで来るのに4日かかったのは、リセットされてたのか。
そうじゃなく。
その下があったんだって分かった
それは、幼い頃から親に対して、精神的に自立的に生きてきたけれど、本当は、「お母さん」とたわいもないことを話したり、報告したり、一緒に買い物に行ったり、プレゼントを贈り合いっこしたり、笑ったり、励ましてもらったり、褒められたりの、仲良しの母親と娘の関係性を求めていたんだ、という発見💡
ずーっと、私は、自分の普通とは少し違う母の性質のおかげで、早くから精神的に自立できたと思ってたけれど、その奥には叶わなかった思いがあった、ということ。
そこに気づいたわけです。
ふぅ。
たどり着いて良かったー。
自分の古い感情のしこりに触りに行くのは、エネルギーを使う。
自分にこんな感情があるとは、思いもしなかった。
蓋をしてた感情を外に出せたの、良かった。
イライラとか、理由の分からない負の感情の奥には、愛があるね。求めていたけれど、自分が求める形では受け取れなかった愛。
その感情を統合して、じんわり自分で自分を癒やす時間⏳
親に関しては、幾重にも感じきれてない感情が現れてきます。
きっかけをくれた、クライアントさんに感謝です♡
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