こんにちは!



MIEKOです。




我が家のレタス🥬

食べる分だけ葉っぱを摘んで食べる方式。

4株くらいがちょうど良い👌



児童発達支援の現場で働いていた頃、ある大学の、ある教授に会いに行った。


その教授の療育に関する専門分野の知見を得るため、お話を伺いに。



雑談の中で、その教授が女子大生から恋愛相談を受ける時の対応について、面白い話を聞いた。


「彼氏にこんな酷いことを言われた(された)んですが、別れた方が良いですか?」


みたいな相談の時は、


話の内容はさておき、


「別れれば」


と答えることにしている、と。



そして、


「やっぱりですよね。別れようっと」

→うん、スッキリして次の彼氏見つけてねー。


「えー、先生ひどい!」

→じゃ、もう少し付き合ってから決めたら。


と、振り分けるそうで。



つまり、答えは自分の中にすでにあって、誰かに背中を押して欲しいだけの相談が、たくさんあって、一つ一つに真剣に取り合ってられない、みたいなことをおっしゃってた。


女子大生の恋愛相談なので、特にそうなのかも。

デートDV受けてるのに付き合ってる人から離れられないなどの、恋愛相談ではない別の問題(深層心理)が絡む時は、別なんでしょうけれど。



前回投稿した母親との感情の深掘りしてから、感情が整理されて、心が少し軽くなった感覚あり。


このくらいシンプルに選んで生きて良いよね♪って、感覚になってきた。


改めて、感情は心の方位磁石だなぁと思う。







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こんにちは!



MIEKOです。



散歩途中の風景。



書き始めたけど、全然筆が進まない(タイピングが進まない?タイピングでもないか。入力?風情のない言葉になっちゃうなぁ)。



前回投稿した、唐突に見た母の夢。





そんなことに関係あるのかないのか。


最近の私がざわつく案件は、


母親と子どもの関係性が近すぎるなと感じる時。


親が子どもを構いすぎるなぁって感じて、


過干渉だなと思う。


ほっといてあげれば良いのに、と。



私は何を否定してるのだろう。


というところから、自分で掘り下げてみた。



親の子に対する過干渉が、ダメ?


干渉されて嫌な思いをしたことはないけど。。



過干渉は、子どもの意思や自立を妨げる、と思ってる?


まあ、多少。私は避けようと意識してきたところ。


なぜ?


なぜ、そこを強く意識してきたの?



子どもは神様からお預かりした存在なので、私物ではなく。社会に健全な大人として返すまでが、親の役割、と思ってた。



うん、

実際そう思ってた。



5歳の娘に、「お父さんとお母さんは18歳でおじいちゃんおばあちゃんの家から出て一人暮らしを始めたから、あなたも18歳になったらこの家から出て自立しなさい」って言って、大泣きされた。



自立、独立を求め過ぎてるよね。

今なら、客観的に、少し先走ってるなあって思う。



その根底には、どんな思いがあったのだ?

私には。



子どもながら、母親に相談なんてしたことがなかった。この人は、答えられないだろうって思ってたから。


私の学校での様子や成績や行事や提出物や、そういうことをあれこれ心配したり、自分から興味を持ったりとかがない人だった、と私は受け止めてた。


なので、母の日の手紙の返事も自分で書いたくらい。


そのおかげで、精神的に、小さい頃から自立した子どもだったと思う。同級生と話が合わなかった。合わせてたなと思う。



この辺までの内観は過去にもやってた。

けれど、一度やってるのに、今回ここまで来るのに4日かかったのは、リセットされてたのか。



そうじゃなく。



その下があったんだって分かった



それは、幼い頃から親に対して、精神的に自立的に生きてきたけれど、本当は、「お母さん」とたわいもないことを話したり、報告したり、一緒に買い物に行ったり、プレゼントを贈り合いっこしたり、笑ったり、励ましてもらったり、褒められたりの、仲良しの母親と娘の関係性を求めていたんだ、という発見💡



ずーっと、私は、自分の普通とは少し違う母の性質のおかげで、早くから精神的に自立できたと思ってたけれど、その奥には叶わなかった思いがあった、ということ。


そこに気づいたわけです。


ふぅ。


たどり着いて良かったー。


自分の古い感情のしこりに触りに行くのは、エネルギーを使う。


自分にこんな感情があるとは、思いもしなかった。


蓋をしてた感情を外に出せたの、良かった。



イライラとか、理由の分からない負の感情の奥には、愛があるね。求めていたけれど、自分が求める形では受け取れなかった愛。


その感情を統合して、じんわり自分で自分を癒やす時間⏳


親に関しては、幾重にも感じきれてない感情が現れてきます。


きっかけをくれた、クライアントさんに感謝です♡







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こんにちは!



MIEKOです。




5/31 23:58 撮影の満月🌕

部屋の明かりを消したら外がやけに明るくて。

満月の夜だったと思い出して外に出た。



久しぶりに明晰夢を見た。


☆☆☆

幼い頃住んでいた実家の上半分が無くなって、陽の光が入って、すっかーんとがらんどうになっている。
家の中の家具などは一切見えず。
すっきり。空っぽの印象。

外に座ってその家を眺めている年老いた母親と私。

母の肩を揉んでいる私。

「そこじゃなくて、ここ」と指示されて、別の角度から揉んであげる。

上半分がない家を前にして、切迫感がない、のんびりした母と私の情景。

陽光が眩しい。

☆☆☆

この夢の分析をchatGPTに聞いてみた。


夢の中の「家」は、心理学ではよく「自分自身」や「人生の土台」、そして「家系的な価値観」を表します。

幼少期の実家なら、特に「育ってきた環境」「親から受け取った世界観」「昔の自分」を象徴している可能性が高いです。

家の“上半分”が無くなっている。

これは、
「頭で作っていた構造」
「こうあるべき」
「守らなきゃいけない形」
みたいなものが、かなり外れてきている暗示に見えます。

家具や荷物がないのは、

  • 過去の感情
  • 家族役割
  • 思い込み
  • 記憶に付随した重さ

などが整理されつつあるサインとして出ることがあります。


“母親との関係性が、緊張ではなく穏やかな距離感に変化している”

とも読めます。

さらに興味深いのは、お母様が
「そこじゃなくて、ここ」
と場所を指定しているところ。

これは、

  • 母を理解し直そうとしている
  • 昔とは違う角度から見始めている
  • 「本当に求められていたこと」を探っている

“家系的・心理的な重さがほどけ始め、関係が静かに再編されている夢”


という解釈が、かなり近い印象です。


chatGPTの解析はここまで。




私としては、

“過去の感情“
記憶に付随した重さ“
が整理されつつあるサイン

という箇所がしっくりきたところ。



私にとって、母親は不思議な人だった。
好奇心が強めの私とは真逆で、何に興味があるのかないのか分からない人だった。
この人が自分の母親だということを受け入れたくない時間が長かった。

心理を紐解くと、ほとんどの場合、親との関係性から自分の価値観が出来上がっている、ということを学ぶし、自分に当てはめてもそうだったと理解する。

日々を滞りなく繰り返す暮らしを望んでいた母親の生活は、私からみたらあまり面白くなさそうだった。

生き方に彩りを感じず、単純に思えた。そのことに不満を持ってないように思えて、不思議に感じた。文化的とは反対の極。
不器用だけれど、料理も裁縫(自分の服の直しや布団のツギあてなど)もしていた。その姿は覚えているが、楽しそうとか、嫌そうとか、の印象がない。

今でも、何を楽しみに暮らしていたのか理解や共感はできないけれど(価値観が違うってこういうこと)、以前のように、なぜこの人が私の母なのだろうとか、恥ずかしいとか、彼女が自分の母親だということを否定したい感覚はない。

きっと母の世界では、母にとっての楽しみや励みや、悲しみや怒りがあったんだろうな、と今は想像できる。

好きでもなく、嫌いでもなく、私の世界にほぼ存在していないかのように、心理的に扱ってた(分からなすぎた)母親に対しての感情や、感情に付随する重さが整理されつつあるのだったら、嬉しいなぁ。

夢の中で、肩を揉む私に、
「そこじゃなくて、ここ」って、指示してるところが印象的だ。彼女の意思を感じるところ。

そう、私には母の、一人の人間としての意思や志向を感じられなかったのが、なんとももどかしかった。

生き生きとした一人の女性として、私の中に現れてくる母親を見たいなと思う。


母が亡くなって4年が経った。