こんにちは!



MIEKOです。




帰宅して、窓を開けたら美しい羽の雄の雉が

前のお宅の畑を歩いてた✨



安曇野へ戻りました。




昨日の投稿で書いた、寂しい、悲しいという気持ちを感じることが、自分の中の長年の、理由の分からない怖さに繋がっていたという気づきから、



過去の投稿で「寂しい、悲しい」を書いた記憶がぼんやりとあり、検索してみた。



ヒットしたのが、この記事↓





懐かしいなぁ。


3年前の私は、ビクビクしながら、シーターヒーリングのセッションしていた。


でも、ここで書いてる「寂しい、悲しい」は、表層的な感情。この時にも、フック🪝があったことには間違いないけれど。



この時はまだ、奥深くにある怖さには至ってない。



少しずつ、薄皮を剥ぐように、自分の奥に迫っていく感じなんだろうなぁ。



寂しさ、悲しさの感情を閉じていることの気づきから、潜在意識レベルの恐怖を解放できたら、なんだか心もからだも緩んできたように感じる。



これまでより、さらに安心感に満ちる感覚がある💗




もう一つ驚きのシンクロで、この時、自宅に来てくれてセッションした彼女は、私達が立ち上げた事業所をその後転職し、新しい職場で働いていて、

一昨年の暮れ、転職が決まった時に嬉しそうに連絡をくれた。



その彼女と、一昨日line電話で話すことになり、とても久しぶりにビデオ通話で近況報告をし合ったのだ。


良い感じになってきたご主人との関係性で、彼が苦労もあった人生をとても頑張ってきたと思うのに、本人は全然自分を認めていなくてちょっと残念に思う、とのこと。

それが、子ども達とのコミュニケーションに影響を与えてるんじゃないかという思いがあるみたい。



それは、きっと奥さんも同じなんじゃない?

苦労した部分をどのくらい労っているか。認めているか。

自分が先だから。

自分が自分の頑張りを受け入れて、本当の意味で認められたら、旦那さんも変わると思うよ!

と最後に伝えて、長電話を終えた。



「大切な誰かに伝えたいことは、自分へのメッセージ」

って、本当にそうだなと思う。


知ってる、というのと、


腑に落ちて内側から分かる、のとでは、


全然違うから。



多くの人が「まだまだ」って、クセのように自分に鞭打ってるよね♪



まずはそこから抜け出ること!


簡単じゃないけど、まずは目指した方が良い点だね!








「奇跡が奇跡ではなくなり、奇跡が当たり前の世界に生きる」

この家と私の、現実創造の波動に浸る二泊三日

祈りと暮らしのリトリート。

参加者募集中です。

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今日も最後までお読みいただきありがとうございますグリーンハーツ



こんにちは!



MIEKOです。




山本亭の雪持ち笹



今日は都内東側の葛飾柴又でも、朝方雪が舞ってた❄️


寒い一日。



久しぶりに、心がざわつくのを感じて深掘り。



ある方からの指摘で、


「傷つけてしまったかもしれない」という罪悪感や、


「配慮がなかったなぁ」という自己嫌悪感を感じた後に、



まだ、むずむず、ウズウズする感覚が残っていて。



そのまま終わらせずに、とどまってみた。




しばらくして、私は「悲しさ」や「寂しさ」の感情が開いてないと感じて。



だから、そう言った感情に対して、共感力が育ってないのかな、と。



でも、まだむずむず、ウズウズは続いていて。



そこに留まり続けたら、



私が、ずっと以前から心の奥に持っている「怖さ」に繋がっている、という感覚があった。



「寂しさや悲しさを表に出してはいけない」という、思い込みのような、強迫観念のような固い思念を見つけた。



自分へ問う。


「寂しさや悲しさを感じて表に出したら、どうなる?」


いくつかの答えが思い浮かんだ。


・人が離れていく

・統率できない

・チーム、組織がばらける

・誰も助けてくれない

・ひとりになる



答えの一つ一つに焦点を合わせて感じてみる。

ピントが合ったセンテンスが1つあった。


・誰も助けてくれない


人が離れていくことには怖さを感じず(過去のシータヒーリングで書き換え済みなのだと思う)、


誰も助けてくれないことへの、強い恐怖があることに気づいた。



そこで、とどまっていた意識が浮上してきて、


今回、指摘してくれた人への感謝の思いが湧いてきたのだ。


その指摘の仕方から、とても言葉を選んでいることが分かり、表現に愛があり、「修正が必要だと思う」と伝えてくれている。



人ごとだとスルーすることだってできるし、その方が波風立てずに済むし、実際そういう選択をする人の方が多いと思うのに、敢えて伝えてくれたその行為が、



「誰も助けてくれない」



と、遠い過去世から頑なに殻に籠っていた私の寂しさ、悲しさを感じる部分に、



「そんなことないよ。仲間として支え合うよ」



というメッセージとして、届けられたのだ。



抽象的で分かりにくい表現だと思うけれど、私にとって長い間抜けなかった、深く刺さっていたトゲが、スルスルと抜けたように感じたので、記録しておく。




腎臓が弱いと言われたり(腎臓は恐怖に関係ある臓器)、


悲しさや寂しさを感じにくかったのは、


自分を守るために、感じないように抑えていたんだと、


理解した出来事。



伝えてくれた友人にそんな意図はなかったと思うけれど、とてもありがたい出来事だった。



心からありがとうございます♡








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こんにちは!



MIEKOです。





柴又八幡神社⛩️で、御神酒をいただいた🍶




子ども達が帰っていき、ペースが戻ってきた✨



集まって良し♪ 散って良し♪





お正月早々、大切な友人が手術を受けることになった。



安曇野で、脱サラして何もない所からお米を作った人。


土地を借りる過程も、古い農機具を譲ってもらう流れも、神がかっていた✨


そして、それはそれは丁寧に農に向き合って、無農薬、無肥料、ハザ掛け天日干しのお米🌾


4反近くの田んぼを一人で草取りして。


こんなこと出来るんだ❗️って、驚いた。


近所の人気のパン屋さんが、店頭で販売したいと言ってくれたそう。





パン屋がお店に並べたいお米です🌾✨



色んな意味で「奇跡のお米」と私は呼んでいて、東京の友人に自信を持ってお勧めしている。




そんな大切な友人が、稲刈りの頃から痛みだしたからだの手術をすることになり、私は私のやり方で祈りを捧げるつもりでいたのだけど、



ふと思い立ち、仲間に祈り合せを提案した。


入院する日の朝、日の出の頃に、


「彼の元気な姿をありありとイメージして、

既に手術が成功して、健康な状態になっていることに感謝してお祝いする。」


そんな祈りを提案して、一緒に祈り合せをした。


「誰かのためにこんなに心を込めて祈ったのは初めて」


「自分が温かい気持ちになった」


などと感想をもらった。



悲壮感なく、同情するでもなく、


ただ、仲間として共にいること。

心を寄せていることが伝わってると嬉しい。



提案する時に、躊躇もしたし、


連絡する人を選ばせてもらった。




祈りの力を信じられる人


純粋な心の人



自分で奇跡を起こしてきた仲間達。



普段は、何が起こってもその時その人に最善なことが起こっている、と思っている。


でも、痛みに孤独に耐える仲間がいたら、一人ではないと伝えたい。


そんなシンプルな気持ちで祈る🙏


きっと、このエネルギーは束になって彼に届いているに違いない💫









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