こんにちは!



MIEKOです。




長峰山の山頂からの眺め✨




夫と私が安曇野に拠点を構えようと思ったのは、登山の拠点として、山の近くに家が欲しかったから。


東京からとなると、首都高の渋滞に巻き込まれないうちに朝4時には起きて家を出ないといけない。



そろそろ年齢的にも、そんなバタバタした生活じゃなく、


朝起きて、お天気が良かったら「山行こうか!」って支度して、朝ごはんを食べて出発する。そんな生活ができたら最高だね、って思ってたんだった。



今日は、朝ごはんを食べ終えて、9時過ぎに支度を始めて9時半過ぎに光城山めざして出発🚙



10時半前に登山口に到着。駐車場は満車だったけれど、ちょうど下山して帰る車が出たところに入れられた。








山の上で食べるランチは、昨日の夕飯の残りもの。

2ヶ月ぶりに安曇野に来た夫へのおもてなしで、最近作り方を知ったビリヤニと、ロールキャベツをジッパーバッグに入れて🫕





おやつ少しと、お水を水筒に入れて。




登ることちょうど1時間🥾


911mの低い山だけれど、最初からかなり急な登りだったので、ゆっくり踏み締めるように登った。


山頂近くに福寿草の群生地🌼


福寿草🌼



陽だまりの平らなところに咲く福寿草は、黄色ではなく金色に輝いていた✨


美しいなぁ💓





光城山の山頂から、林道を歩いてそのまま長峰山へ。


人もまばらなのどかな道のり。





長峰山の頂上からは、北アルプスの大パノラマが望める。裾野に広がる田んぼと家。くねくねと蛇行する川。




日本の原風景を思わせる風景に、心が和む。



長峰山を下って、光城山の登山口に停めた車のところまで、集落の中の道を歩く。


途中見つけた神社に寄り道⛩️



光の五社大明神



長野に住むようになって、神社がとても身近な存在に感じる。至る所に神様が祀られている。



途中、目にする古い民家の作りにも、うっとりしてしまう。


近代的な建売の家とは一線を画す重厚感と存在感。


きっと新築の時は漆喰の白さも際立ち華やかな存在感を放っていて、年月を重ねた後は、家の中の営みと共に呼吸を重ねた家の頼もしさなんかも蓄積して、ちょっと近寄りがたい存在感があるんだよね。


なまこ壁も素敵だなぁ。


きっとこの道は昔の街道だったんだろうな、などと思いを馳せながら歩いた。



時間に追われず自然を満喫し、妄想で過去にも思いを巡らす時間が、とても楽しい山歩きだった✨



そうだ✨

こういう生活をしたくて、長野に家を探していたんだった!


と、初心を思い出した一日だった。








「奇跡が奇跡ではなくなり、奇跡が当たり前の世界に生きる」

この家と私の、現実創造の波動に浸る二泊三日

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こんにちは!



MIEKOです。




今朝の安曇野🌲有明山⛰️




昨日、急に連絡があり夜に我が家まで来てくれたのは、昨年祈りのセッションを受けてくれた方。

とても嬉しいご報告をお土産に持って訪ねてくれた✨






この時のセッションで、幼少期にお母さんに髪を持って畳の上を引きづられ、小学生の時には川の水で洗濯して来いと命じられ、初任給で買ったバッグを渡そうとしたら「そんなのよりお金がいい」と突っ返された経験をもつクライアントさん。



祈りのセッションの一週間の間にも、大きな展開があったけれど、その後も家族関係の変化変容は続き、2月初めには、一緒に買い物に行ったとのこと!



79歳の母と52歳の娘が、仲良く誕生日のお祝いの食事のための買い出しに行った、と。


母と娘で、楽しい気分で一緒に買い物に行ったのは、おそらく初めてだと思う、と。


1月にお父さん、2月にご本人、3月にお母さんと、誕生日が続いてるため、2月の彼女の誕生日に合わせ、3人分のお祝いをしよう🥂となったらしく。


それが、なんだか自然な流れでそうなって、と。


普通の家では当たり前すぎることなのかもしれないけど、本当にこれはありえないことなんですよ!と。


慣れなさ過ぎて、不思議な感覚だそう。



それって、「幸せ」とか「嬉しい」って気持ちなんだと思うよ。





この修復がなされるまでには、お母様の体調不良からの緊急入院、手術を経て、家の中のトゲトゲした緊張感が徐々に緩んでいくというプロセスがあった。


お母さんの体調を労わり、料理したり気にかけたりするのを感謝され、その母親からの思いを(これまでの恨みや怒りを出さずに)素直に受け取る、の循環が回り始めたのだ。


初めは少しぎこちなさがあったものの、時間とともに滑らかに回せるようになってきた、と。



そうしたら、糖尿病を抱えるお父さんも、自分の食生活を見直すようになり、薬を手放し、好まなかった野菜を食べ、納豆や発酵食品を摂るようになり、自ら腸を整える食生活に取り組むようになった、と。



恨みつらみの過去の記憶の中から抜け出し、相手を責めるのではなく、自分が在りたい姿を選んだ時、一番近い存在の家族が変わる。


美しい方程式をなぞるような、このご家庭の変化に、私自身も本当に嬉しくなりました。


人はいつからでも生き方、在り方を変えることができる。


その変化を受け入れる準備ができた時が、タイミングなんだと実証して見せてくれ、報告にわざわざ来てくださったことがとても嬉しかったです照れ



そして、更に。

親との関係性が修復されると、他のところにも良い影響があり、仕事が見つかったのと並行して、自営での事業を立ち上げる準備も動き始めたとのこと。


ほんと、不思議!


とおっしゃる顔が、とても幸せそうでした♡









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MIEKOです。




今朝も気持ち良き朝✨



今年は、誰かの役にたつようなブログにしようって思った気がするけれど、自分の記録ブログから抜けられない。



今日もそんなブログになりそう。


いや、なります。ごめんなさい🙇‍♀️



昨日、舞の通し稽古をした。


稽古の後の気づきが、観音舞なのに私は自分の音が分からない、ということだった。


自分の音が分からない、聞こえないということは、うちなる宇宙の音が聞こえてないということで。


舞いが、型をなぞる動きになっているので、軸がなく表現になってないなと、思った。


自分のからだという枠がなくなるくらい、外と内の音を響かせて共振させたい。


言葉で言うと、簡単で、素敵そうな感じだけれど、私にはまだその音が見つけられていない。



人と対話している時、その人のエネルギーは確かに感じるのだから、舞の時には、私のチューニングの仕方がうまくないのだろう。



そう思ったら、森の中を歩きたくなった。






森の中を歩きながら、背の高い赤松や、大きな落ち葉を揺らす風や、残雪、湿気を含んだ土、青々とした空、流れる雲、それぞれのエネルギー、波動、音にチューニング出来るようになりたい、と思った。


息を吸って、吐いて、吸って、吐く。



感じる感覚の解像度を上げたい。








誰も見ていない森の中で、ひとりで舞ってみた。



少しのぎこちなさと、おおらかな気持ち良さを感じられた。



回数を重ねたら、もう少しぎこちなさが減るかな。



でも、部屋でiPhoneの動画を見ながら舞うよりは、良かった。



お手本をなぞるのではなく、自分の軸をもって、伸び伸びと自分の内側からの音を奏でて、外と響き合わせるように舞いたい。



関節でエネルギーが止まらないような体の動かし方を身につけたい。



時間が足りるんだろうか。


こんなにも不確かで、心許ない途中経過も、きっと愛おしくなる日が来るだろうから、記録しておこう。








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