日野新選組祭り見学…と見せかけて高幡城と平山城を見学 | 幕末ヤ撃団

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勝者に都合の良い歴史を作ることは許さないが、敗者に都合良い歴史を作ることも許しません!。
勝者だろうが敗者だろうが”歴史を作ったら、単なる捏造”。
それを正していくのが歴史学の使命ですから。

 今日も日野新選組祭りで高幡不動尊へ。昨日は私のサークルがブースに入らせて頂いていたのですが、今日は別のサークルさんに譲りましたのでブース参加ではありません。研究家あさくらゆう先生の同人誌『坂本龍馬研究への提言』シリーズをブースに届けた後、さっそく新選組祭りを見ず(苦笑)、高幡不動尊近隣の史跡を巡ってきちゃいました。

 

 まずは、昨日お話しした「高幡城」を見学です。といっても、高幡不動尊の裏山なんですけども(苦笑)。

 高幡不動尊に八十八箇所巡り(四国お遍路パクリ)があるのをご存じの方も多いかと思います。この八十八箇所のお地蔵様(?)を設置している山が高幡山で、高幡城はそこに築かれた山城となります。

 なので、入り口は八十八箇所巡りの入り口から登山開始となります。

 

 正直、城を見るのであれば、標識にしたがって一番札所→二番札所と巡る必要はなかったなと。山城の本丸は一番高いところにあるので、とにかく頂上目指して登りまくるべきでした。実際、それが三の丸、二の丸、本丸の順番で見れたはず。

 私は、素直に札所順に登ってしまったため、いきなり本丸から見ることになっちゃいました(汗)。

 

 本丸へ向かう尾根の先に作られた平場です。ここを一段上ると本丸となります。

 高幡山山頂。つまり高幡城の本丸跡です。なんか、ネットでは「本丸跡」という看板があったっぽいんですが、さらにネットで調べていたら「本丸」の標識が地面に落ちていたらしい。私が行った時には見当たらなかった(汗)。

 どこからともなく「○○殿、ごとーちゃーく!」という声が聞こえてきます(苦笑)。気にせず城址見学を続行です。

 本丸と二の丸を隔てる堀切りの跡か、竪堀(空堀)の跡だと思う痕跡がありました。

 本丸と二の丸を隔てる堀切跡かと思われる場所を違う角度から見ます。尾根道になっちゃってますが、ここが堀切りになっていたか、土橋になっていたかのどちらかだなとか思っています。まぁ、ハイキングコースとして整備してしまった可能性もありますが(汗)。

 尾根づたいに二の丸を進むと、二の丸と三の丸を隔てる堀切跡かと思われる地形がありました。今は道になっちゃってますが。そして、この場所にようやく城趾跡の案内版が登場します。

 なんか、忽然とあるのよねぇ。

 そして、馬場跡とされている平場があります。この場所は地形的に尾根がコの字を描くその中心にありました。

 この他、本丸を取り囲むように随所に平場が確認でき、かつ竪堀の跡かと思われる場所もあります。

 中世山城の風格がよく伝わってきて、けっこう楽しめたなぁ。ただし、基本的には八十八箇所お遍路がメインの場所となっているため、城趾として説明版などはまるでナシです。堀切や空堀といった城知識を得た上で行くべき城と言えましょうか。

 

 で、高幡城を楽しんだところで昼頃になりまして……史跡巡りとしてはまだ食い足りない(苦笑)。さらに欲が出た(私の悪い癖)。高幡不動駅から二駅ほど行くと「平山城址公園」という駅があることを思い出し、ちょっと高幡不動から足を伸ばすことにしてみたり(おい!新選組祭りはどうしたんだという突っ込みは無しね)。

 

 平山城址公園駅のロータリーにある「平山季重館跡」。実際、この場所に館跡があったそうで、戦前の航空写真だと四角い地形が見えるらしいです。現在は開発されて面影はありませんが。

 これが案内版です。平山季重は、多摩地区に根を張った坂東武士、武蔵七党のうち西党の最大勢力の平山氏です。季重は、源頼朝の挙兵に同調し、源義経が木曾義仲討伐を命じられて上洛した際、これに従って上洛し、義経軍として奮戦、平家追討でも一ノ谷の戦いなどに参戦し、義経の勝利に貢献しました。

 

 この館跡から真っ直ぐに行くと平山城となりますので行ってみました。が、当然山城なので山登りします(汗)。山の山頂が城址公園になっております。

 こんな感じの説明看板がありました。城址とはいうものの、実は城の全容が解明されていない城でして、見張り台跡だとも伝えられています。

 山の尾根ぞいに進むと、尾根からハリ出た部分に平場がありました。そこが見張り台跡だと言われている場所となります。ここには「季重神社」が建っておりました。

 平山城は、戦国時代の城と比べると防禦構築が貧弱な感じがします。城の全容が解明されていないため、もしかすると住宅街になってしまった尾根の方に遺構があったかもしれません。

 神社のある平場の下側にも平場があるというので見てみます。

 草ぼーぼーで解りにくいですが、神社から伸びる尾根の突端となります。たしかに平場っぽい。

 真剣に見て回ったら、何か発見できるかも的雰囲気は感じましたが、今回は時間がなくて断念。下山することにしました。

 でもまぁ、防禦構築はあまりないとはいえ、それは戦国期の城と比べたらという話し。平安時代末期の城って、大抵”いざという時に逃げ込む山”のことでして、せいぜい平場を作っとくぐらいで、平安末期の城に堀など事前に準備構築していたかどうかは疑問です。

 平山城が平山氏の城だとすれば、詰の城でしょうから十分に城として機能するんじゃなかろうかとも思ってみたり。

 

 ともかく、最後の目的地「宗印寺」へ。

ここには平山季重の墓があります。

下に説明看板を掲載しますので、詳細はご覧ください。

 このお寺には、重要文化財といて「平山季重座像」が伝わっております。が、さすがにそれまで見ることはできないだろうなぁと思っていたところ、なんと保管小屋の扉のガラス窓から見ることができました!。ラッキー!!。

 はい。これざ平山季重座像です。下に説明看板も載せときます。

 いやぁ~。今日は新選組とまったく関係ないところでの収穫が多かったですなぁ~。丁度、今の私は武士の起源について興味を持ち、いろいろと論文を読んでいるところでして、平安時代の武士に興味津々なのですよ。とくに、荘園とか館跡とかに目がない状況です。そんなわけで、今日は大変勉強になったりしました。

 

 ということで、今日は山城二つを見終わって満腹となり、研究家あさくらゆう先生が待つ高幡不動尊へ戻りました。

 幕末も良いけど、平安末期から鎌倉時代も面白いわよーんと個人的には主張したい気分です(苦笑)。

 

 ちなみに、今日ご紹介した城は、この本にも登場しております。今日の参考文献でもありした(苦笑)。

 なんか、城ガール高校生の話らしい。まぁ、城ブームだったらしいしなぁ。史跡巡りだけで漫画にできる時代になったのだなぁと思うばかりです。