これまでの実績からすれば当然だが、主人公役の我妻三輪子が頭一つ抜けて演技が巧いため、ほかの役者と絡んでいる時のアンバランスさが気になる。むしろ我妻三輪子が出ていないシーンのほうが、スクリーンに写っている役者の演技力が同等なために自然に見られるという逆転現象が起こっている。

たしかにこの件はノイズなのだが、終盤になるとむしろ美点にも思えてくるから不思議。というのは、主人公の立ち位置の変化のせいである。我妻三輪子演じる主人公は、幼馴染への片思いを隠し続け、微妙な恋愛感情が絡む人間関係の輪から一歩引いた立ち位置にいるのが初期設定である。終盤に告白し、やっと安全圏から見下ろす傍観者という立ち位置を捨てて物語の中に足を踏み入れる。この瞬間から、我妻三輪子の演技力が光りだすのだ。距離をとっていた頃は各人の感情について何も解っていない子供であったが、長らく傍観者として見ていた実績が功を奏して、輪の中に入ると一番の大人になり、的確なアドバイスをしたりする。「一番の大人」と「我妻三輪子の頭ひとつ抜けた演技力」が、ここで合致する。

地方の小さな町を舞台にした話だが、1箇所だけ幻想的なシーンがある。川原で我妻三輪子が自分の正直な気持ちを伝えたあと、自転車2人乗りで橋を渡るシーン。漕ぐ側と後ろに乗る側、そして進む方向が逆のカットが交互に配置されている。リアルなシーンだとすれば意味不明だが、ほんの少しだけ世界が変化したというイメージか。たぶん、割と単純なメタファーなんだろうけど、こういう「ああ、これは映画だ」っていうシーンがひとつあるだけで、観て良かったと思えるものである。

我妻三輪子