*バスケット部の活動を続けてきて、最も残念であったのは、「新人戦でのみんなの無責任なプレイ」。

 

*今でいうところのPF/Cでのみプレイしてきたが、新人戦で対戦した相手が屈強なレギュラー陣で、なおかつオールコートのプレスを全員でかけてくる強敵だった。僕以外の4人は、「自分でボールを保持しようとすると奪われ、大失態となる」ことをおそれたのか、何の打合せもなしに試合開始からラストまで、突然僕をPG/SGとして使った(要は、相手は5人でディフェンスにきているというのに、僕一人にボールを任せ、自分達は、はるか相手のゴール下まで走ってしまうという、「どうしようもない」プレイをした)。当然、5体1ではボールロストの連続。途中から一人下がってはきたが、5対2でも話にならず。結果、「その試合最大の失敗をおかしたプレイヤー」は僕という評価になり、それまで顧問から感じられていた「期待」が、新人戦を境に「完全に」消えた。期待が失われ、「もはや出場はないな(*事実、以後、公式戦には一度も使ってもらえなかった)」と悲嘆にくれた結果、僕は部活への熱意をいったん失ってしまう。そのままでは「自然に退部」しかねないと思い直し、「毎日、一生懸命に基礎練習に励み、練習ラストに皆と試合をするのが部活の楽しみ」と気持ちを切り替え、3年間部活をやり通した。14-15歳でそこまで一人で気持ちを整理した自分を今となっては年齢の割に本当にしっかりしていると今でも思うし、同時に、毎日一緒に練習に汗を流してきながら、「試合にビビッて」僕に全責任を負わせた皆のことを、僕は今でも許していない。

 

*中学1年生の時点で僕は八ツ田康子さんに想いを伝えていたけれど、八ツ田さんからの返事は「お友達で」というものであったので、僕としては「嫌われたのだろう」と思うようにしていた。僕のことをひどく嫌っている「岸井」という何とも気取った輩がいて、八ツ田さんといかにも親しげに装ってきていたのだが、僕にはそれが真実なのか、あるいは僕に対する嫌がらせなのか、判断がつかなかった。卒業式の際、八ツ田さんはこれからどうするのかを話たがっていたけれど、僕がそれに関わらなかったのは、「岸井が言っていることが真実で、八ツ田さんは岸井のものなのだろうな」との気持ちがあったから。別々の高校に進んでから、僕の親友経由で八ツ田さんが「まだ私のことを好きなのか確かめてほしい」と質問してきたのには正直驚いた。僕は「とっくの昔に嫌われた存在」だと思っていたから。高校に入ってからの僕は、自分の内面的問題(性格やら進路やら、他の人との付き合い方やら)に「悩みきって」いて、誰かを好きになる、という状態ではなかった。成人式で見かけた際も八ツ田さんは話をしたそうな雰囲気であったけれど、僕には一向に、八ツ田さんが「本当はどうありたいのか」がわからなかったため、かける言葉が見つからなかった。

 

*小学校から好きだった梶並さんの問題も、中学を通して「わからないまま」残り続けた。僕は梶並さんは、クラス、更には学年のリーダーであった小暮君のことを好きなのだろうと思っていた。しかし、いざ中学に進み、梶並さんと同じ剣道部の女性と同じクラスになると、その度に梶並さんの件でひやかされた。それが僕にはわからなくて(*そもそも、なぜあの人達は、僕と梶並さんの件を知っているのやら、わからなかったので)、うまくいってひやかされているのか、それともとうの昔に破綻しているのに僕がみじめったらしいと思われているのか、12歳から15歳の僕にはわかるはずもなかった。

 

*川田栄子さんも、八ツ田康子さんも、あの「北の街」では珍しい「制服指定のない共学の県立高校」に進むということであったので、僕も同じ学校へ行きたいのが本音であったのだが、当時は「偏差値が全て」であり、偏差値で決めるなら、その学校の2つ上にあたる県立の男子校へ進むのが筋だと散々担任から指導された。僕は「男子校だけは絶対に避けたい」思いから、ワンランクしたの「比較的新設の共学校」を選び、何とか担任を納得させたが、更に1ランク下げて川田さん達と同じ学校へ行くことは、どれだけ話し合っても許してもらえなかった。ただし僕としては、男子の友人の多くも川田さん達と同じ学校へ進むため、本心ではそちらの学校へ行きたかった。

**ただし、そちらの学校は地域での評判(制服指定がないだけに校則もゆるく、大学生まがいに、高校生にして飲酒ありのコンパをする等)がよろしくなく、当時はいわゆる「不良を気取る」時代でもあったため、わざわざ「2ランク下げて、評判もよろしくない学校へ進む」ことは、担任のみならず、親も許してはくれなかった。

 

*ただし、僕が進むことになる新設共学校は、世間的に評判はよろしくはあったのだが、見学に行った段階で、僕には「非常に雰囲気が悪く、活気のない学校」としか思えず、受験に出かけた際も「嫌な予感しかしなかった」のだが、いざ入学してみると、残念なことに僕の感は完全に的中し、後で記す(ことになるであろう)様に、高校3年間、僕はその「沈滞した陰険な」学風のなかで苦しむことになる。

 

**高校選びの際に「直観なんて思いすごしであろうから、気にしてはいけない」と自身の力を封印して大きな後悔をした経験から、以後僕は、時々に僕に訪れる「直観・直感」を、「何よりも信じる」と決める。それは大学選び・就職・転職、そして現在まで続く。僕にとり、どんな本より、誰の意見より、自分に「訪れる」感は、最も信頼できる指標であり続ける。