葉も色づきはじめ、季節は秋たけなわであります。

秋といえば、新米のたよりが店頭を飾り、多くの実りが食欲をそそります。


この時期、思い出すのは、いつぞやの農家のおじさんの言葉です。


もう、数年前になるでしょうか。ニュースで北朝鮮の食糧難について報じていました折に、
秋田県で農業を営むおじさんが北朝鮮にお米を送っている映像が流れていました。

「あの国へは贈っても庶民には届かず、幹部たちの口に入ってしまうという声がありますが」
レポーターが、やや否定的にマイクを向けると、


「農民というのは、あまりそういうことは考えない。誰かが食べてくれたら、それでいい」と、おじさんはゆるやかな表情で答えていました。


おれはいたく感動し、その言葉が野火のように心の中にひろがっていったのであります。


その後、ある集まりに参加しました。
修行体験をした人たちが、それぞれが感想をのべるという会でした。
たくさんの人たちの同じ話の繰り返しに、おれはいくぶん眠くなり、メモをいいわけに下を向いて、うつらうつら聞いていました。


(うん? 、、、鈴の音か、、、、)


顔を上げると、白いスラックス姿の女性がすくっと立ち、マイクをお持ちでした。

内容は何を言っているのか、わかりません。いえ、なにを言おうとも、そんなことは、たいした意味をもっていませんでした。


ただ、空間を軽やかに流れる声は、鈴が鳴っているかのように、ころころと聴こえたのです。
いつまでもひたっていたいような、そんな気分に、おれは全身をゆだねていました。


上半身に目をやると、女性はニットをお召しになっていました。


(なぜ! なぜ! 今日、この時に、ニットなどになさったのですか! )


つめよりたいぼどの抗議と、困惑と、懇願と、それと同じ分量の賞賛をもふくみながら、思わずそれに手が伸びそうになる衝動をおさなえがら、
おれは大自然の驚異と畏怖の念にあふれ、つばを飲んでいたのでありました。


いたずらっ子が果実を抱えたような形でした。重力にさからう意志をもったそれは、椅子によりかかると地平線と平行な広がりをもち、さながら、初飛行の窓から見た航空母艦のようでもあり、どんなパイロットも我さきにと着陸申請をしたくなる力をもっていました。


大地の豊穣でありました。


交流会に入ると、おれはなによりも先に彼女に駆け寄りました。
そして、一言だけいいました。


「どうぞ、ご主人によろしくお伝えください! 」
「えっ、、、?」 けげんそうな顔で、見返す彼女に、
「いえ、わたくし、明日、アフガンの先遣隊に参加するものですから」


そういうと、おれは彼女の反応も見ずに、出口にむかって早足で歩き出しました。


なぜそのようなことをいったのかは、わかりません。
自衛隊員でもないのに、先遣隊にいく予定もありませんでした。


ただ、頭の中では、あの北朝鮮にお米を送った農家のおじさんの言葉が、繰り返し、繰り返しぐるぐるとまわり続けていたのでした。