わおはようございます。
いかがお過ごしですか。
あるわけではない、
しかし
悲しみが突如、
湧いてくることがありませんか。
どうしてでしょう。
弾きながら
こんな風に感じるように
なってきました。
〜わたし の 悲しみではなく
だれか の悲しみに
響きあったのかもしれない〜
その想いが与えられた時から、
しずかな
なぐさめを覚えるようになりました。
昨日は
絵画展に足を運びました。
韓国のクリスチャン画家の
作品展。
素晴らしかった。
魂に
深く 深く
なぐさめが あたえられました。
その中の一枚を見ているとき
さきほどの想いが
ふたたび
こころから
湧きあがってきました。
自分が悲しいわけではない。
しかし、
誰かの悲しみに
響きあっているのかもしれない。
どんなに
悲しくても
どんなに
つらくても
わが悲しみのように、
わが苦しみのように、
悲しみ、
苦しむ存在。
音楽は
そのような
存在…かもしれません。
音は
どんな 想いにも 寄り添う。
彼(音楽)
と ともにいたい。
悲しみに響きあいたい。
よろこびに響きあいたい。
渇くことは
なぐさめへの道。
苦しみは
癒しの道。
やがて 形をかえる。
いのちの 輝きへ。
みなさまにとって、
素敵な週末になりますように。