戦争だらけの世界で、平和に暮らせる日本がありがたい。私は素晴らしい日本社会だと思うが、探せば幾らでも理不尽な出来事が出てくる。50年前だろうか。「ハチの武蔵は死んだのさ」と言う歌が流行った。理不尽に立ち向かう武蔵と言うハチが、お日様めがけて剣を抜き、戦い敗れて、焼かれて落ちて、死んだと言う社会風刺の歌詞だった。純粋な若者が巨大な国家権力に向かって戦って通用しなかったことを言っているのだと思う。私も何度か似たような悔しい経験をしたことがある。

 

 官民を問わず全ての業界には族議員が居る。産業界だけでなく労働組織にも族議員は居る。族議員は同じ環境の人達の意見を集約すると言う意味で大事だと思う。大きな組織で大きな仕組みが出来上がっている所には大きな利権が確立している。歪められた利権を正すことは良いことだが、正面から剣を抜いて立ち向かっても、怪我をするのがオチで、無駄骨になるケースが多い。

 

 目的を達成するために、獅子身中の虫になれとは言わないが、魂を売ってまで阿諛追従せよとも言わないが、権力の中枢に近づき、権力者を手伝うことで、改善の目的を達成することの方が早いような気がする。ハチの武蔵は蜜を運べば死ななかったと思う。対決より対話、批判よりは協調の方が良い結果が出るように思う。これがハチの武蔵に対する私のアドバイスである。

  分譲マンションのクレーム相談を良く受ける。一番多いクレームがゴミ出し場(違反ごみ)と共用部の汚れ・破損の問題だ。次に騒音や匂いなど規約違反(トラブル)の問題が続く。これらの問題は年中起こっている。トラブルが改善されない場合、管理会社の不満へ行き着く。幾ら多忙でも、寄り添う姿勢を感じたら、我慢して貰えるのでは無いかと思うことがある。

 

 管理業を引退して10年になるが、管理に対する不平不満は他人事とは思えない。私が叱られているような気持になり、私でも出来る雑務は私の判断で私が勝手に遣っている。たかが管理だが、されど管理、マニュアル作業では尽くせない管理業務の複雑さと深さがある。そこでいつも感じることがある。管理担当者の心(サービス精神=寄り添う心)が見えないことだ。

 

 一番大事なことは、管理組合とは?理事長とは?昨今は役員が輪番制になっている。管理会社は組合組織の目的・組合員の権利と義務を役員の皆さんに徹底して欲しい。理事長は組合員の意見を纏めるのが業務です。管理会社の方も管理の目的と管理の理念を開陳しなければならない。

 

 私が知っている限りでは、ほとんどの管理会社は管理の理念を、組合員に開陳していない。管理業の本質はサービス業だ。サービス業はお客様に寄り添う心だ。ジョブ型雇用(マニュアル業務雇用)が一般化され、日々の業務が心の伴わない作業になっている。サービス業であると言う自覚が、管理会社のトップから末端社員まで徹底されていないように思う。

 

 分譲マンションの生活者(区分所有者)が安心・安全・快適な暮らしが出来るために、管理組合と管理会社があるのです。管理組合と管理会社とは主従(委託・受託)の関係にある。管理組合は決定責任があり管理会社には実施責任がある。たとえ理事長が素人であっても上から目線であってはならないのです。管理会社の目的は安心・安全・快適な暮らしと言う「目に見えないサービス」の提供者なのです。この点だけは忘れないでほしい。

 今日は昭和の日、今日からゴールデンウイークが始まる。2週間ぶりの関東は、自宅周辺の緑が随分深まっている。松山を外れると、リホームもクレームも対応できないので、懸案事項から解放される。と思いきや、管理組合からの相談が入る。多忙と休閑はありがたいやら気掛かりやら悲喜こもごもとなる。緊張と緩和、喧噪と静寂、関東での安寧な暮らしの中に、未処理の定例業務が蓄積され、苦悩も深まると言うことだ。昨日も突然、雨漏りの報告が入った。緊急手配•緊急対応に腐心する。私の場合、死ぬまで真の安寧は到来しないと言うことになる。松山の解脱経営者・村上空山(むらかみくうさん)和尚が97歳でご逝去された記事が、今朝の愛媛新聞おくやみ欄に掲載されていた。

  

 

  

 

 関東の日の出がAM4時台になったと言う。愛媛は関東から30分遅れの日の出となり、まだ暗い。松山城確認の為と言いながら、自分の体力確認の為に松山城を登っている。頂上の長者ケ平(ちょうじゃがなる)には昔からの藤棚がある。毎年、同じ場所で、同じ花を咲かせている。年年歳歳、藤の花。年年歳歳、花相似たり、歳歳年年人同じからず。桜と同じように藤の花も美しい。50年前も今も、同じ道で同じ景色を眺めながら、同じ挨拶を交わしている。あの時のお爺さんを今の私がやっている。あの頃の私(青年)が駆け足で登って来る。景色は同じでもそこにいる人は皆別人だ。あの頃のお爺さんもきっと足腰が痛かった筈だ。あの頃のあの人たちと同じように、我々もいずれ、記憶の中からも消えていく。

    

 

    

令和8年度、柔實会総会・懇親会

 

 

 私はOB会を知恵と経験と人脈の宝庫ととらえている。4月25日(土)、柔實会(松大柔道部OB会・濱田初幸会長)総会と懇親会が、17時から博多屋本店(石崎智也社長H17卒)で行われた。参加者は昭和46年卒業の黒木先輩・関谷先輩・菊地先輩を年齢の筆頭に、昭和49年組の我々4名(75歳組・福島・白石・宮下・二宮)が次につづく。

 

 今回、柔實会が温山会(松山大OB会・山口普会長)の一支部として認定されたことで、山口会長・新井理事長に出席して戴いた。運動部の支部承認は運動部初の快挙で、今井松山支部長のご尽力に感謝したい。創部100周年と支部承認に花を添えるありがたい総会となった。以下、柔實会の歴史と柔實会の存在意義を述べたい。

 

 柔道部は創部100年の歴史がある。OB会となる柔實会は初代藤井徳二郎先輩から始まる二代目水口義寛先輩・三代目柳澤正三先輩・四代目加藤陸大先輩・五代目関谷幸男先輩・六代目二宮秀生、そして七代目濱田初幸現会長に続く。柔實会の月次例会は50年前から現在まで毎月、例会と言う名の飲み会が行われている。

 

 初代柔實会会長の藤井徳二郎先輩が初代松温会(温山会松山支部)会長と兼務だったことから、松温会例会と柔實会例会がシャトーテル松山(現NBFビル)において、合同で毎月行われていた。藤井徳二郎先輩の退任後、松温会例会と柔實会例会が分離して開催するようになった。以降、私と福島君は月2回の例会に参加することになる。

 

 柔實会の存在意義だが、松温会同様に柔實会も50年間、毎月例会が実施されている点だ。50年前の本校は、全てのスポーツが強かった。新入生への勧誘活動が活発で「決まってないのならウチの部へ来い」などと強引に勧誘したものだ。50年前は誰もがどこかのサークル(運動部・文化部)に所属していた。

 

 大学の評価は「学生の活躍」と「卒業生の活躍」によって決まる。私は「大学の4年間は社会人への準備体操の期間」だと位置付けている。社会人になって大切なことは知識面と精神面の強化だと思っている。精神面とは戦いの精神だ。チャレンジ精神とネバーギブアップ精神だ。人生とは理不尽な出来事に挫けず立ち向かうことだ。柔實会の存在意義は、学生が活躍することで、今衰退している運動部復活(知名度Up)の嚆矢にしたいと言うことだ。

 

 柔實会会長の濱田初幸氏は母校愛の強い御仁だ。全国大会・世界大会での実績がある。教育者(大学教授)としての経験がある。彼は母校に役立つこと、地域に役立つことをいつも考えている。山口温山会会長(スーパーフジ現社長)も空手部の出身だ。スポーツの効用を充分理解している経営者だと思う。更に2人は南予で同郷だ。柔實会が温山会の一支部になったこの機会に、山口・濱田コンビによるスポーツ復活の狼煙(のろし)を上げる時にして欲しいと私は期待している。2人で談合して欲しい。

                                 

 

                                  

 

 

 

仕事を通して明日を創る

 

 株価が59,000円を超えた。株式投資の本質は将来性を買うと言うものだ。政府だって人間だって株式投資と同じで、未来志向でなければならない。将来の明るい夢を語る人間でありたい。自分の未来を創ると言う意味で、自分の願望と自分の決意が正々堂々と言える人間でありたいものだ。言葉で発することで意思は固まる。人は夢ある話を聞くことで期待が湧くのです。「夢と希望を持った人間」と「成り行き惰性で生きる人間」とではどちらが、魅力があるだろうか?夢や希望を語ることで支持(人・物・金)が集まる。会社だって個人だって同じだと思う。将来のビジョン(夢と希望と目標)を持って働く人間になりたいものだ。

 

   日本からメンバーシップ型雇用制度(人間力型業務)が消失して、ジョブ型雇用制度(マニュアル型業務)が一般化して来た。その結果、日本のサービス業がダメになった。日本から、おもてなしの心が消えてしまったからだ。夢や希望にあふれた社員が少なくなった。野望も無ければお客様に寄り添う心もない。上司も部下も心が伴わない作業になってしまった。コンプライアンスの強化で、マニュアル中心の業務が増え、仕事の中からサービス精神が消えてしまった。仕事が心の伴わない惰性の処理作業になっている。夢やビジョンを語る上司も居ない。何処の職場も経営理念(考え方)を語らない社員が多いように思う。

 

 何時の時代も、上昇志向のリーダー・上昇志向の側近、上昇志向の社員達、そんな組織が発展している。誰だって明るい将来が欲しい。期待が持てる次の世代に先物投資がしたいのです。暮らしが良くなりそうな政権、夢を語る専務・ビジョンを語る副理事長、社長を目指す常務、自分を引っ張ってくれそうな部長、上昇志向の上司に追随したいのが人情だ。上昇志向の人間と仲間になりたいのが人情だ。一度しかない人生で、自分の能力(願望)がどこまで通用するか頑張る人になりたい。期待される人格とはどうあるべきか考えてみる必要がある。

 

 ああそうだった!私は人生を下山中だった!歳甲斐もなく、下山しながらあの頃の登山道(経営魂)を思い出している。登りきれていない下山で、くすぶっている老人がココに一人いる。

住宅情報館 館長日記「ナフサ危機の光と影」

 

 イラク戦争の影響(石油供給問題)が世界の市場を混乱させている。高市総理は来年初頭までは石油は大丈夫だと言っているが、市場では流通の目詰まりが起きている。このままで行けば住宅産業が成り立たなくなると言う。建築にはほとんどの建材や製品に、接着剤・塗装剤・防水・シート・人造大理石・プラスチックなどが使用されている。その原料として、ナフサ(石油製品)が使われているだ。このままいけば5月・6月には、建材や製品が調達できず、建築工事が出来なくなると言うのだ。部材確保の為に販売価格を30%値上げしなければならなくなると言う。現在の東京では家賃が総収入の40%になっている。このままいけば家賃が更に高くなるので大都市では住めなくなる。

 

 昔からピンチはチャンスと言われてきた。今回の石油不足(ナフサ不足)問題によって、邪智狡猾な御仁達がピンチをチャンスに変えている。業界人はしたたかだ。ましてや経営者はもっとしたたかだ。会社経営者にとって大言壮語な発言や針小棒大な発言は社員統治と市場PRの為には必要な資質である。いくら必要な資質であっても度が過ぎれば問題だ。健全な市場を混乱させれば重罪だ。流通の目詰まり問題で、ユーザーを困らせ、チャンス(非常識な利益)にしているからだ。建設資材の流通情報を針小棒大に伝え、「在庫不足・仕入れができない」と混乱を煽って膨大な利益にしているからだ。

 

 日本は独裁国家(監視国家)でないので流通量と流通価格を統制できない。業界人や経営者が、流通の目詰まり「在庫不足」を誇大妄想的に伝達し、末端の零細業者や消費者の不安を掻き立てている。業界人や経営者が値上げの口実に使っているからだ。危機管理と利益追求も、度が過ぎれば反社会的経営(利益至上主義)と見なされ、ニデックのような経営危機となる。経済産業省と国土交通省は、在庫量のチエックや、値上げの妥当性をチエックし、健全な流通を指導するようお願いしたい。日本では今、米不足問題と似たような現象が起こっている。住みやすい明日の日本をつくる為、義務教育年齢の子供たちに、人格教育(倫理道徳教育・愛国心教育・正義感教育)すべきではないだろうか。

住宅情報館 館長日記「国際海峡を徹底すべき」

 

 イスラエルとイラン・レバノンの戦争の勃発で、ウクライナ戦争が薄れてしまった。イランによるホルムズ海峡(国際海峡)封鎖をめぐって、トランプさんの言動から目が離せない。投資家たちは24時間寝ていない筈だ。世界中で石油と石油製品の供給問題で全ての産業の株価が乱高下しているからだ。私はこの機会に国際海峡の国連海洋法条約の徹底を行うべきだと思っている。

 

 石油問題で世界中が影響を受けている。イランの海峡封鎖に対抗して、トランプさんはイラン各港へ向かう回路の海上封鎖に踏み切った。さすがトランプさんだ。海上封鎖が嚆矢となってイスラエルとレバノンが停戦に合意した。レバノンの停戦に伴いイランは17日、「停戦期間中はホルム海峡を完全開放する」と表明した。悪党と悪党の戦いは、少なくとも現段階では、トランプさんが一枚上手だったと私は評価する。果たしてイラン革命軍が黙っているか?

住宅情報館 館長日記 「金婚式とお葬式」

 

 人生、卒業式・入社式・結婚式と、色々な式典を経験して来た。建物を建てる時の起工式はたくさん経験して来た。天地の神様に工事の安全を祈願する式典だ。最近の式典はお葬式ばかりだ。先週は従兄のお葬式があったが、同じ神式でも宗教宗派によって柏手が違う。後期高齢者ともなるとお葬式が先か、金婚式が先かの、きわどい年齢に差し掛かる。今年は後期高齢者になるが式典はない。婚姻届けを出して50年、世間では金婚式と言うが式典はしない。

 

 金婚式を一口に50年と言うが、怪我に病気に、事故に事件、よくもまあ無事に生きて来たものだと思う。夫婦なんて、生まれも育ちも考え方も違った2人が、共同生活をするのだから、互いの我慢辛抱・隠忍自重は並大抵ではない。私のような自己中心的な夫に、よくもまあ付いてきてくれたものだと感謝している。2人には最期の式典が残っているが、式典の主役(居士・大姉)にも主催者にもなりたくないものだ。これからの酒席は自分の生前葬と思って一期一会の心構えで臨みたい。

住宅情報館 館長日記 「新緑の季節の田舎探し」

 

 自分が植えた植物を見るのは楽しい。私は実のなる木が好きだ。収穫(食べること)を考えるだけでもワクワクして楽しい。私達の子供時代はコンビニも無ければスーパーマーケットも無い。村に1軒のタバコ屋兼、駄菓子屋程度の店があったが、田舎の百姓にはコメは有っても現金そのものがない。お祭りには50円か100円貰って、お菓子を買いに行った程度だった。お腹が減ったら庭に実る柿やイチジク、冬なら干し柿と干し芋と言ったところだ。

 

 八幡浜高校へ行って生まれて初めて信号機を見たのだから、田舎者でも凄い田舎者だったと思う。そんなことで私が建てた建築物の公開空地には子度時代のトラウマか、食べれる山菜と実のなる木がたくさん植えてある。日本を代表するNBF松山ビルにだって、栗の木・柿の木・ビワにシャシャブ、ザクロを植えている。その他の敷地には野イチゴ・ミョウガ・フキ・ツワブキ・ビワ・スモモ・プルーン・シャシャブ・キンカン・柿・ブルーベリー・イチジクなど、まるで農家の果物畑だ。新緑の季節のノスタルジア、田舎探しが出来る場所でもある。山草・樹木はいくら見ていても見飽きない。