イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。
‭‭創世記‬ ‭25‬:‭28‬ 新共同訳‬

イサクは長子であるエサウを愛した。

聖書の中の文面ではあまり細かいことは書いてないが、エサウのところだけ読むと、彼は父イサクにとても忠実だったと思う。

ヤコブは母リベカに愛された。

どの家でもあることだよね。

普通ならば、自分の産んだ子供はみんな好きだと思うが、差をつけるわけではなくても、無意識に1番可愛がる子は決まってしまうこともあると思う。

例えば、末っ子とか、長男とか、1人だけ男の子だったりしたらね。

でも、いろいろ母子の間で何か問題があったとしても、聖書だけ読んでいると、ちょっとこの話はひどいかな?と思うな。
イサクが歳をとり、目が霞んで見えなくなって来たので、いつ死ぬかわからないと不安になり、長子であるエサウに全てを継がせる為の祝福を与えようとした。
 イサクは言った。 「こんなに年をとったので、わたしはいつ死ぬか分からない。 今すぐに、弓と矢筒など、狩りの道具を持って野に行き、獲物を取って来て、 わたしの好きなおいしい料理を作り、ここへ持って来てほしい。死ぬ前にそれを食べて、わたし自身の祝福をお前に与えたい。」
‭‭創世記‬ ‭27‬:‭2‬-‭4‬ 新共同訳‬

しかし、これを聞いていたリベカが、ヤコブに祝福をと策略をめぐらして、祝福を奪ってしまった。

リベカにしても息子だよ。

それを考えたら少し酷いと感じた。

詳しいことはわからないが、それほどにこの時の祝福が大事な事なのは伝わってくる。

しかし、実母としてと考えると、エサウに同情したくもなる。

母親に愛されていないのが伝わってくるから。

まあ、でもそれは人の目から見た感情論の話であって、神様の思うところは別にあったと思う。

 ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。 エサウはヤコブに言った。 「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。 ヤコブは言った。 「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」 ヤコブは言った。 「では、今すぐ誓ってください。」 エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。
‭‭創世記‬ ‭25‬:‭29‬-‭31‬, ‭33‬-‭34‬ 新共同訳‬

日本でも、長男に家督を継がせるのは昔からのしきたりではある。

それによって、男の子を産まないからと酷い目に遭った人もいた。

自分がその境遇にないのでわからないし、また、このアブラハム、イサクの時代のこの民のことは、なにもわからないので、なんとも言えないが、これだけはいえそうだ、

神様の決めた長子の特権を軽んじた時点で、ヤコブが継ぐことは決まっていたと思うな。

神様の決めたことだから仕方ないよね。

申命記とかと違って、創世記は何度読んでも面白い。

なんかワクワクする。

一月一日から聖書の年間通読始めました。