Notturno di Artiere~夜の詩人~

Notturno di Artiere~夜の詩人~

変態の代名詞、やぎおがお送りする気まぐれなmonologo(独り言)の部屋です。

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夜の風を招き込んで

温い空気と出しゃばりな太陽を捩じ伏せていたい

そういう言葉をいつまでも持っている人でありたい

 

太陽の纏うレースのような光だな ドレープが効いていて、高原の風の手触りをしているのだろう

陽だまりの反対ならば、影だまりだろうか 夜のモノが乗り込む箱舟

 

男より女より自分でありたいよな 性別など超越して、本物の俺を視ろ

 

ふふふ あはは ついについにこわれかけかぁ

でも何もしない日は作っている

午前が終わるまでに「今日は何も出来ないな」と思ったら諦めてそうしている

頭は痛いし耳鳴りはうるさくて、何も見たくないし何も聞きたくないんだもの

楽しめる人は勝手に楽しんでおいてくれよ

 

やはり自由律詩の方が自分には合うようだ

制約があるのが良いのかもしれないが 終わりのない呪詛を吐くには向かない

俺は奔放な風なので

 

荒野を往くアザゼルの山羊を知っているだろうか

あまねく罪をその身に受け、血を被り荒野へ放り出される

その末路は気にも留められない

獣に喰い殺されようが、崖に倒れて臥しようが

罪を投げ出した子らは知る由も無いからだ

アザゼルの山羊は願った 救いあれ、赦しあれ、終わり来れ、と

断罪するものは闇に座す狼のみ

 

だからこそ白狼は顕れた 断罪と赦しの死をもたらす為に。

山羊にとっては、彼のものは救いの顕現であった

 

以上、創作世界における白狼の白狼たる所以

 

幸せな夢が続けばいいのにな

愛は等しく 突然壊れて灰のように飛び散ってゆく

今の雇い主も「望まれなかった子供」なので感覚を分かち合う事が出来る それはとても有り難い

 

望まれず生まれ、故郷を出て、それでも欲しいと願って何年も夫婦で不妊治療して子供を産んだ雇い主

同じ選択は出来ないけど、尊敬している

多分、赦すことが出来たんだろうなぁあの人は

母親を赦す事は出来ない 望まれずに生き続ける自分も赦せない 全てが憎くてたまらない

あの日の尖りは磨り減ってなどいない 戒めのようにペンを取らせる肉体の棘

 

しんどすぎていんたびゅーうぃずのえる聞いてるんだけどしんどすぎてしぬ

貴方は何故それを識っているんですか こんな子産まなければ良かったって

脳髄を蝕む毒を貴方は喰らったのですか 陛下 陛下

発売からもう4年経ったけど 未だに泣くよ こんなん 泣くに決まってるだろ

 

かしましい駅 動かない列

様々な話をした

自分自身にとっての地雷が創作物の性癖になる事ってあるよなって話になったのだが

そこそこ同意頂けるのではないだろうか

 

個人的には温かい家族だとか天涯孤独だとか精神が壊れていく事とか

それ系の話がシャブのようにキマる

 

演者は観客に気を遣う必要はない 彼らは閉幕と同時に散っていく、野次馬と変わらない

誰も並びたてぬ毒を吐け 美しい花には棘があるものだ

月光のようなスポットライトにて汝の生命、唯それのみを謳歌せよ

演者たる我等は、毒を吐く苦しみを知っている それがどう人を陶酔せしめるかを

極彩色の夢にて一人舞台に立て 毒は毒をもって制すもの

 

泥を啜り天にまで伸び神と咲け

神にも悪魔にでもなく、自分に誇れるように生きたいね それが誰かの目を覚ます

 

疲労困憊!精神は灰!

 

完膚無きまでに 自分の創作には嘔吐が絡む

この頭を流れる濁った文字や色彩の渦 それらを吐き出すようにモノを作る

淀み濁り黴臭い想いを掬い両手に抱くように

歌も詩も絵も短歌も変わらないよ だから「印象の嘔吐」

 

蒸発した親父から電話きた 出なかったけど

今更何を話そうと言うのだろう 今ではただの他人なのに…

さようなら、愚かなしがらみ 苦しんで孤独に死ぬと良い

 

俺の目を通して見る世界が、美しいものであればいいさ

知りたいなら教えよう 聴きたいなら語り合おう

美しい世界を切り取る写真のように 愚かしい人間が我が物顔で語る

それが幾千幾万と集まって概念を作る

正解は有り得ない 不正解も有り得ない 人間の目の数だけ美しさは存在する

極彩色を孕んだ黒は 色とりどりの夢を見せるのが上手

 

夜を怖がっている暇がないな 朝日に比べたらよっぽど優しいし

永遠に朝が来なければ良いのにとよく考える

 

朝日は俺を取り残して時間を進めていくんだ 残酷なまでに正確に

そうして進めない者の罪を増やしていく

停滞する贅沢な時間を断罪されるのが辛い

早朝の微睡みにも似た 歯車から切り取られた時間

そこでは初めて息が出来て 透明な風に歌が乗って流れていく

 

締め切った部屋に揺蕩う煙のように 淀んだ沼に咲き出る睡蓮のように

 

風は止まったら消えてしまうから許されないのだろうか

奔流に身を任せ削られていく生命の定めを 断ち切るには土塊に変わるしかない

 

ねぇ 生きるのは怖くないの

「何がどんなに辛くても生きているべきだ」なんて言われたら、震えて立ち上がれなくなってしまう

「無価値だから死ぬべきだ」と言われる方が余程安心する

あなた方は 生きるのが楽しいんだね

 

情緒は不安定 体調は不安の種

 

人におすすめしたきっかけでルクセンダルク大紀行を聞き直してるんだけど

全部好き…特に花が散る世界とテーマオブリンクトホライズンが一等好き

押し花の花弁を剥ぐような 許しを風に乗せるような

 

一次でも二次でも、推しの顔面偏差値が高すぎて描けなくなることない?

 

Zirkuszelt ツィルクスツェルト サーカス小屋 良い名だ

香具師の魅せる甘美な夢を 獏よ、豪奢に喰らうといい

 

やっぱ一度駄目になってしまうと終わりなんだな

誘惑が甘美過ぎて死にそう

誰も守ってくれやしないから、自分を守るために生きなきゃ→なんのために?→死んでもいいんじゃない?→でも後処理してくれる人間いないだろ?→ 無限ループ

生きてくことが全部苦しい人間と、おおよそ楽しい人間は分かり合えない そう思う

死は確かにコスパはいい 1-1=0 単純な計算式

ただミスって0になりきらないことがあるからな 地獄

 

以前の宗派に則って言えば審判の日

疫病が蔓延り異常な天災が重なり政治と宗教は牙を剥き

不信仰は瓦礫と共に責め苦のうちに死ぬ

教わった時、なんて素敵だろうと思った 悼む人もいない 皆死ぬから

痛いし苦しいだろうけどね

 

憂鬱に取り憑かれると世界が短くなる 夜に足を掴まれ、昼に腕を磔にされる

ゴルゴタの丘を登るように生き抜いていく様

 

楽しい事ってなんだっけ

さよなら

這いずっては空睨み

空睨んでは夢を見る

夢の果てに想い馳せ

想い潰えて草の陰

草葉踏みにじり崖の上

崖を跳んでも至れない

雲は机上の空論如く遠く

風を孕む布が羽ばたけど

浮かぶのは心ばかり

行き場のない心ばかり

 

旅人の自惚れは捨て去った故郷

旅人の恥らいは過ぎ去った日々

捨て去った温もりを虚空の風が埋め

飲み込んだ語らいは火の如く揺れる

この身一つカンテラと定め

足取りばかり粛々と

風の鳴る地面から離れられず今日も

 

歩け 盃が溢れない内

歩け この灯が消えない内

忘却の丘で終ぞ風になる

救済の時を来たり足らしめる

誰よりも軽い風となる為に

誰よりも強い風となる為に

孤高に吹き進む風は雨を払い夜の帳を降ろし

彗星を伴って宙までも翔けよう

ひとしきり翔けた風はアルカディアを求め

終ぞ至れず独り消えるだろう

 

彗星の亡骸が降り注ぐ空に

人々は美を見いだし夢を見る

天翔る自由を羨んで笑う

それが根無し草の無念とも知らず

笑うがいい

微笑うがいい

嗤うがいい

嘲笑うがいい

各々に夢を見て眠るがいい

 

夢の見開きに一瞬華を添えれば

この胸も空くのだろうか

毒華根無し草となって

夢されど極彩色

泡のように溶けたこの生を

一掬いふりかけて空想論

飛躍して人類

堕落して同類

心の毒は薄まったか?

 

「求め続けなさい。そうすれば与えられます」
しかし、「何事にも定められたときがある」 これもまた真実である。

「話すのに時があり、座っているにも時がある」だったかな
話す、と座っている、が対比されているのが幼心に大変面白く思ったものだ

どうしてこの対比が成立するか。それはユダヤ人の慣習と関係がある。

古代ユダヤ人の週末は「安息日」と呼ばれ、一切の労働を禁じられ「学び」に特化するための時間であった。

彼らは「会堂」と呼ばれる集会所を持ち、皆がそこに集まり書を朗読したり、解釈を発表したりする場を形成していた。
発言者は立ち、群集に「話す」。視聴者にあたる群集は「座って」それを聞いていた。

その対比である。

昔の法や規律、箴言は、時代背景に密接に結びついていて興味深い



何事もふさわしい時を弁えるのは大切なことだ
無論考えるべき要素は他にも多くあるわけだが、人と人との不和については、殊更これが大切やもと思う。

情報を与える「時」
人の意見を仰ぐ「時」
人を避ける「時」

一つ綻べば建て直しは大変難しい
タイミングの合わないオーケストラの悲惨さは、想像に難くないだろう


自らの行動、発言がどんな「時」を産むか。
時と予見しえない事柄は確かにあるが、それをいつも頭の片隅においておくだけでどれほどうつくしい音となるだろうか。

何より覚えていたいのは「自分の時を乱すのは自分自身」ということだ



ここにあるのは荒野のアザゼル、贖罪の定めだ

乾いた風とひび割れた大地の中で散っていく定めだ

高い天も、深い水も、この身体にはそぐわないのだ