『  』は当団地の変遷・推移などでスルーしてください。

 

恵宝神社を通過、公民館へ

 

 当団地の歴史を見ると、19731992年にかけて造成され、1981年に西小学校、1982年に中学校、1988年に東小学校が開設されたとある。

 202041日現在で5.221世帯数で人口12.327世帯だという。東西の学校区に11の町内会と8の町内会があるようだ。

 当地区に小学校が開設される1年前に居を構え、子供は一年間は隣り街の小学校にバス通学をしていた。溯ればこの地に既に42年住んでいることになる。

 鹿児島の西に位置する我が団地・我が町内会には220世帯15の班(令和3331日)があり、その班の代表から一年交代で地区の会長やその他の役員が選定される。班長と副班長が二人セットだから7年周期で回ってくる。これまで5回、家内がその役目を果たしてくれたことになる。家内は数年前から、今度当番がやってきたらもう班長はしない、と言っていた。このことは暗に私が班長をしてくれ、と言っているのだ。

 

 さて、23週間前に今年の班長さんが、令和4年度の当番がやって来ました、どちらが班長さんになられますか?お隣さんは引越してきて1年も経っていない、それに未就学児を二人抱えている。自ずと私たちが班長を引きうけざるを得ないだろう。私がやりますと返事してから今日(20日)を迎えたのだった。

 

 

今年度の方たちの車だろう、数多くの車が駐車していた。

 

 

 当団地の地区公民館で1900から今年の役員の理事会、1930から次年度の班長さん15人から役員を決める会議だ。公民館に入ると女性陣が大勢だ。家内の話ではこれまでも主婦が多く、男性の班長さんの出席は数少ない、と言う。男性が出席すると会長の矢が直ぐに向けられるらしい。女性陣の出席が多いのはこのためのようだ。この会長さんの決定がないことには他の役員は決められず、数時間にも及び2400近くまでなった年もあったと言う。これまでも挙手する方がいなくて、やむなくくじで会長を決めることが多かったと言う。だが、いったん決まったにもかかわらず後日、頑なに辞退され会長の再選任となった年も家内は経験したという。

 

 改めて周りを見ると私の隣りに40代?の男性がいるだけで、他13名は女性陣だ。現会長さんは男性だが、会長職はいろんな仕事を各担当理事に振り分けるのが仕事で、実務が数多くあるものでもなく難しいものではない、と説明する。

 私は好んで会長職を引き受ける気はさらさらないが、これまで長い年月町内会のことでは家内にお世話になったというか、迷惑をかけてきた。さらにまた家内に心労をかけさせたくない。嘱託もとっくに辞めて今や完全フリー状態だ。くじになったら会長職でもいいや、最後の御奉公と思って出席した会議だった。

 規約の中でこれまで会長職を経験した者、75歳以上は会長を免除されるという。この規約を知らないで出席したが、もともと今回で町内会の役務は御赦免と思っていた。と言うのも次回班の係りが巡ってくるのは年後だ、その時はとうに80歳を過ぎている。存命しているかすらわからないが、班長、副班長も免除される年齢だ。

 

 お隣の男性が役所との掛け合いは出向かないといけないのかどうなのかなど、会長職の内容について質問を始めた。無駄な時間はかけたくない、とも言う。もっともだ。候補者がいなければくじにしてください、と私は言うつもりでいたし現会長も挙手者がいなかったら公平にくじをいたしましょう、と言う。そして市役所には電話対応の内容もあるし、副会長や各理事に振り分けたらいいですよ、と現会長。そして隣りの男性が、じつは奥さんから会長だけは引き受けてくるな、と念を押されて出席した、今一度、奥さんに確認すると言って、中座した。

 しばらくして奥さんの了承を得たらしく、会長が決まったことで副会長や会計などが決まってゆく。すると、順に女性陣が役を引き受けてゆく、残り数種の役が残ってちょっと会議が途絶えた。

 

 

 次は防犯係、交通安全係、防災係の各部長さんです。どなたか希望者は・・・。〇班の・・・です、私が防犯係をいたしましょう。防犯係りは街灯の補助金の申請が主な仕事だとか言っていた。

 

 かくして、1940から始まった会議も令和4年度の全ての役員が決まり解散したのが1840頃だった。

 

 

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