人には、心が有ると言われますが、
でも、心とは、何でしょう?
Wikipediaでは、
心(こころ)は非常に多義的・抽象的な概念であり文脈に応じて多様な意味をもつ言葉であり、人間(や生き物)の精神的な作用や、それのもとになるものなどを指し、感情、意志、知識、思いやり、情などを含みつつ指している。と書いてあります。
身体と違い、実証できないですから、難しいです。
気持ち、感情、思い、などの脳の作用、それは、心の揺れであり、心本体では有りませんから、ちょっと違うようですね。
心の揺れについての話しは、古今東西、色々ありますが、
「心とは何か」という、答えが有りません。
フロイトやユングの深層心理も、無意識の働きという、ところまでで、心とは何かという答えには、なっていません。
西田幾多郎の「純粋経験」は、少しそれに、近づいていて、思考や体験などの働く以前の素の状態を示しています。
多分、其処に、心が在るのだと思います。
存在は、示していますが、「それが何か」という答えでは、ありません。
そこで、私の考えですが、
大昔、単細胞だった生物は、必死で生きて死を迎えました。
そのサイクルの中で、生き延び、子孫を残す為に、DNAに刻み込んだ生への執着、
心の起源は、おそらく、生への執着、死への恐れかと思います。
どんな生物も生きようとします。
殺されそうになったら、必死で、逃れようとしますよね。
その延長上に、子孫を守る、仲間を守る、などの行為が生じ、愛する、慈しむという風に、変化します。
そういった、心の揺れは、生きる為に、必要だったのではないでしょうか。
心とは、生命を守るための「心棒」であり、進化の具合によって違いますが、生物には、必ず在るものなのではないでしょうか。
おそらく、一つひとつの細胞には、心のDNAが、組み込まれて、どんな進化を遂げようとも、生物である限り、存在し続けるのではと思います。
大昔、単細胞だった生物は、必死で生きて死を迎えました。
そのサイクルの中で、生き延び、子孫を残す為に、DNAに刻み込んだ生への執着、
心の起源は、おそらく、生への執着、死への恐れかと思います。
どんな生物も生きようとします。
殺されそうになったら、必死で、逃れようとしますよね。
その延長上に、子孫を守る、仲間を守る、などの行為が生じ、愛する、慈しむという風に、変化します。
そういった、心の揺れは、生きる為に、必要だったのではないでしょうか。
心とは、生命を守るための「心棒」であり、進化の具合によって違いますが、生物には、必ず在るものなのではないでしょうか。
おそらく、一つひとつの細胞には、心のDNAが、組み込まれて、どんな進化を遂げようとも、生物である限り、存在し続けるのではと思います。