2024年06月26日

お遍路10 68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、67番大興寺、ロープウエイで66番雲辺寺


 お遍路10 68番神恵院、69番観音寺、70番本山寺、67番大興寺、ロープウエイで66番雲辺寺

   仁尾マリ-ナより観音寺行きのバスでお遍路した。 観音寺港に停泊すれば楽であるけれど、適地の情報が得られなかった。



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 仁尾マリ-ナよりのお遍路





  68番 神恵院・じんねいん

 JR観音寺駅より徒歩10分ほどで神恵院に行ける。69番の観音寺も同じ境内に在り。明治の神仏分離令により琴弾(ことひき)八幡宮より分離され神恵院は観音寺境内に移されたという。

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 本堂入り口は近代的な鉄筋コンクリート製である、  本堂内部



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 太子堂





  69番 観音寺

 大宝年間(701年 – 704年)に、法相宗の日証が琴弾山で修行をしていたところ、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人が八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を祀り琴弾八幡宮と名付けた。その神宮寺として当寺は建立され神宮寺宝光院と称していた。

 寺伝によれば、行基が養老6年(722年)に訪れた後、大同2年 (807)空海(弘法大師)が第7世住職として入山した。



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 本堂



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  太子堂







  70番 本山寺

四国霊場では竹林寺・志度寺・善通寺とこの本山寺の4ヶ所だけという五重塔がある。中世には寺領2000石の大寺である。長曾我部氏により焼かれた寺院が多い中でここは本堂と仁王門が残った。



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 五重塔





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 仁王門(重文)







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 本堂(国宝)





   67番 大興寺

 天平十四年(742)熊野三所権現鎮護のために東大寺末寺として現在地よりも約1キロ北西に建立され、延暦11年(792)大師の巡錫を仰ぎ、弘仁13年(823)嵯峨聖帝の勅により再興されたと伝えられている。しかしながら、戦国時代末、長宗我部元親の兵火により一部を残してことごとくを焼失、慶長年間(1596~1615)に再建されたが再び焼亡、本堂は寛保元年(1741)に建立されたものである。 真言宗と天台宗の二宗派が兼学した珍しい寺である。 案合図のように本堂左の弘法太子堂と右側の智顗を祀る天台大師堂がある。



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  大興寺案内図



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 仁王門  四国随一大きさ





   66番 雲辺寺

 所在地は徳島県であるが香川県との県境にあり讃岐の札所として見られている。標高927mであるのでロープウエイが設備されている。 さすがに山頂に着くとガスで視界が悪かった。

 この寺は789年(延暦8年)に佐伯真魚(後の空海・弘法大師)が善通寺建立のための木材を求めて雲辺寺山に登り、この地を霊山と感得し堂宇を建立したことを起源とする。



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 県境の道路標識




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  ロープウエイ




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   本堂




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  霧中の五百羅漢像



    2024-6-26