眉山(いのやま)周辺の神社宅宮神社えのみや、経塚大権現、蔵元八坂神社、 熔造皇(ようぞうのすらめ)神社, 八人塚古墳、経塚大権現、佐野神社、勝占神社、五王神社、 宅宮神社を訪ねた時に、溶造皇神社と経塚大権現へたどり着けず、宮司さんにそれらのことを聞きました。ご親切にも調べてくれて自宅まで写真などを届けてくれました。 近春の徳島再訪に是非ともそれらを訪ねたいと思っております。 宅宮神社、周辺地図 宅宮神社・えのみや 御祭神を大苫辺尊、大歳神、稚武彦命とする。主祭神の大苫辺尊は、意富斗能地神(おおとまひめじ)で、神代七代の第五代の神様として、大地が完全に凝固した時を神格化されたとする説があり。「意富(オホ)」は「大(オオ)」を、「門麻(トマ)」は「泊(トマリ)」、つまり港を意味するという。そのため、現在の上八万町にあたる「八萬津」を祀る神であり、昔は「大きな港」があったことを示すともされる。 また「出雲踊」の歌詞に「伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」とあり、これは邪馬台国の女王卑弥呼の宗女「壱与」を示すという説もある。 神代文字の版木がある。 山門 拝殿 経塚大権現 天若日子の神陵である。 「天若日子」は葦原中国平定の際に「天穂日命」の次に遣わされ、天孫族から大国主神に寝返ったとみなされたことから何らかの形で処刑(神話では弓矢で射殺)されています。 下写真のように途中で草で道が鮮明で亡くなったので断念しました。 その下の写真は宅宮神社の宮司さんが送ってくれました。 送付されたもの1 送付されたもの2 蔵元八坂神社 京都の八坂神社のように、祇園まつりがおこなわれるという。 拝殿 下の熔造皇 (ようぞうのすらめ) 神社はここに移設されていたが、現在は元の場所に返されている。 熔造皇(ようぞうのすらめ)神社 ここもグーグルマップで近くまでタクシーで行ったが。探せなかった。 宅宮の宮司さんが写真を送って頂いた。 卑弥呼・大日孁神命(おおひるめ)により近代化された米作に加え、素戔嗚尊(すさのお)によって初めて鉄の生産が伝えられた。スサノウの命を祀る。 五角形の祭壇が在ると云う。八倉姫比賈神社と似ているのであろうか? ユダヤの影響とも云われるが残念ながら見ていない。今春再訪の時には訪ねたいものだ。 https://www.youtube.com/watch?v=zsKxnETQFqs 4分 「神社ねこ」さんによる 送付されたもの3 佐野神社 神武天皇のゆかりの神社。神武天皇の東征の起点であるといわれている。 鳥居 拝殿 勝占・かつら神社 古代この神社の付近一帯は海であり、出雲系海人の豪族が支配していました。その大祖神である大己貴命を、海に突き出た中山の東端で展望の良いこの地に祀ったということです。元暦元年(1184年)3月10日に源義経が屋島へ向かう途中に参拝したと伝わる。 鳥居 拝殿 五王神社 例祭は昔から神輿などを出さずに地芝居や人形浄瑠璃などを奉納している。阿波人形浄瑠璃を演じる犬飼農村舞台があり、国の重要有形民俗文化財に指定されてす。 主祭神は水波能売神・埴山比神・豊受姫神・久々能智神・草野比神。創建年代は不明。 拝殿 八人塚古墳 この日はツイていないのか居場所不明が続きます。 ゴルフクラブの中にあるようなので、危険も伴うし入り口も判明しないので諦めた次第です。 スサノヲの墓?とか言います。 古墳時代初期の積石塚古墳としては日本最大級の規模。 先に見た萩原2号墳と同じようなものでしょうか? ゴルコ-スへ行くスロ-プから見た古墳? 2024-1-14