阿波・邪馬台国と日神子・卑弥呼 

                           香川宣子さんによる


 

  



  ひみこ地図

 

 黄泉の国を脱出したイザナギは、橘湾の海岸で同胞の卑弥呼(ヘフシバ・ヒゼキア后妃・日神子)、スサナウエ(スサノヲ)、ツアクヤン(後のシャル・ヤシュブ・月読命(つくよのみこと)たちと遭遇した。

 彼らはイザナギにアークの隠し場所にするところを尋ね、ここにスサノウを残して剣山に向かうことになる。 鮎喰川をさかのぼって船盡神社・ふなはて・歯ノ辻神社あたりで陸路に変えて剣山の鍾乳洞に聖櫃を隠した。下山して卑弥呼は高根山にある悲願寺一帯を拠点とした。

 卑弥呼・日神子は予言者イザヤ時代に実在したヒゼキア王朝の后妃ヘフシバのことです。大日簍命・おおひるめ(死後の名)、大宣都比賈・おおげつひめ、八倉比賈・やくらひめ、と呼ばれたりお稲荷さんになったり、伊勢神宮の豊受大神・とようけおおかみ で祀られた。

 卑弥呼はスサノウと結婚し多くの子を産みます。  スサノウの浮気が重なり卑弥呼は天岩戸に立てこもる。スサノウはこの騒ぎに2度と卑弥呼の元に帰ってこなかった。 スサノオは神山町須賀山に櫛名田比賈・くしなだひめ と新しい生活を始め、大国主命をもうけます。

 大国主伊命も絶倫で多くの子をもうけます。 その中にニニギ命と事代主命・エビスさんがいる。 やがて、大国主命軍(海人族)と卑弥呼軍(高天原軍)との大戦争に発展する。卑弥呼は敗れて気延山の一角で死に高根山にあった墓を聖徳太子が気延山山頂に移す。

 




 

 

 

    天石門別八倉比賈神社 ・あめのいわとわけやくらひめ

 

  卑弥呼の死後名の大日靈女命(おおひるめのみこと) - 天照大神を祭神とする。  残念ながら奥の院にあるユダヤを思わせる5角形の台座(磐座)を見逃してしまう。今春予定の再訪時には見てきます。




  気延山 周辺地図





  「天石門別」「八倉比賣神社 」の記がある鳥居

 



 拝殿

 

 

 この柏手紋様はイスラエルの神から指示されたメノーラ(燭台)象った神紋と云われている




 

   船盡神社ふなはて・歯ノ辻神社 

 

 歯ノ辻神社のバス停のすぐ近くにあり。 鮎喰川のすぐ近くなのでここまで船で登ってきたのに納得する。 お祭りの時に古代ヘブライ文字に似た阿波神代文字で書かれた2本の大旗が飾られるという。

 



  鳥居

 

 

 拝殿

 

 

 

 

   船盡比賣神社

 

 船盡神社・歯ノ辻神社の対岸にある。 小さな祠が見えるのみなので、ここかなと思う程である。 テレビ?で見たようなきがするが、ここに神代文字の幟があるというのは本当でしょうか。




 

 

 


  むくのきの標識と左の三柱鳥居

 

 3柱鳥居の原型かともいわれる。 ユダヤに関する物とも云われる。

 

 

  天岩戸別神社


 

  天照大御神が石屋戸隠れをした時、八百萬神が集い神楽などで大神を誘い出し、この時手力男命が大神の手を取りて引き出した。

  その手力男命をお祀りしています。

 

 

 

 

 

    天岩戸立岩神社

 

 立岩神社の御神体の巨岩は古事記や日本書紀に登場する天岩戸とする説がある。 鳥居をくぐり200mほど進むと神社の御神体である天の立岩があり、神社の後ろにある大きな岩が二つに割れている様子は岩の扉のように見える。

 

  拝殿

 

 

  ご神体、天の立岩  岩の扉のようです

 

 

       2024-1-9