白鷺(しらさぎ)  季語/

ダイサギ (大鷺)サギ科 夏鳥 L89 W130

チュウサギ(中鷺)サギ科 夏鳥 L68 W114

コサギ  (小鷺)サギ科 留鳥 L61 W98

 

 

小鷺

 

 

    ダイサギ(大鷺)と思います

 

休丘さんの写真

ダイサギとコサギと写真の裏に書いてありました

 

 大きい平野の水田地帯を走る車窓からよく目につくのはシラサギであろう。何よりも白は目立ちやすい。サギは長い首、長い嘴、長い足で独特の形をした水辺の鳥である。体がほとんど純白のものをシラサギと呼んでいるが、いくつかの種類がある。普通よく見かけるのは大きい順に、ダイサギ、チュウサギ、コサギである。これらの種類は並んでいてくれるとすぐ区別できるが、一種だけだと頼りない。馴れてくると見当もつくが、体の大きさ、嘴と足の色で区別をつける。しかし、俳句ではその区別はしない。

 コサギは体そのものはニワトリ大で、それに長い首と長い足がついている。チュウサギはそれよりひとまわり大きく、首も長めに見える。ダイサギはそのチュウサギよりもかなり大きく、首もずっと細長く見える。時に首をまっすぐ立てて歩いているが、竹の棒でものみこんだように固い感じがする。コサギの足の指は白っぽい黄色で、これはコサギの最もよい識別点である。これさえ見えたら間違いない。歩いている時は足を持ち上げるのを待つ。サギ類が飛ぶときは足指を後方へのばしているので、はっきり見てとれるだろう。チュウサギとダイサギの足指は区別できない。このどちらの嘴も冬羽では黄色くなり夏羽では黒いが、嘴の根元にあたる目の前の部分の色が違う。チュウサギは黄色、ダイサギは緑色でむしろ青く見える。コサギの嘴は夏、冬とも黒い。

 ダイサギ、チュウサギは夏鳥で冬は大部分が南方へ渡去するが、コサギはほとんどが留鳥である。冬に見るシラサギはコサギであることが多い。ダイサギは海岸地方の池や大きい川の岸辺、干潟などに現れる。足が長いぶん、より深い水の中を餌場として利用できる。チュウサギは水田や湿地で生活して、干潟に出ることはあまりない。コサギは川、池沼、水田、干潟など割合に活動域は広い。シラサギは種類を混じえて群れていたり、川の中洲で独りで佇んでいるのを見たりする。餌は魚やザリガニ、カエルなどを捕まえている。

 シラサギは長い足を使って水の中へ入り、目は絶えず水中を狙っていて、S字に祈り曲げた首をばねのように動かして突っ込む。嘴に魚などをくわえとる様子がよく見え、失敗や成功がすぐわかる。コサギはとくに水中で足の指を使う。片足を軽く前へつき出して指をふるわせながらかきまわし、魚を追いだしている。逃げる魚を追って、翼をもちあげ、むきになって浅瀬で走りまわっていることもある。

 これらのシラサギは雑木林や竹薮などで、数種類がいっしょになって集団で繁殖する。混合コロニーと呼ばれているが、昔から言われてきたサギ山の方が通りがいい。離れた水田地帯に餌を求めるサギは、こうしてお互いに集まって情報を求める。一種の社会的な同類寄生関係だと言われている。サギ山の最盛期には親鳥、若鳥、雛の声が入りまじって湧きかえる騒がしさである。それにサギたちの排泄した糞がとび散って、樹木も下薮も地上までまっ白にまぶされて異様な臭気に満ちている。地上には魚や卵や雛が落ちているわ、散乱するその死骸の中からよろよろとよろけだす雛がいるわ、足の踏み場もない。枝にひっかかってすでにコトきれた雛やまだもがいている雛を見たりもする。何とも言いようもない。生死を分かつこの濃縮された場面は、密集しているために起り見えてくる鳥の世界の一つの形熊であろう。とはいえ、胸に深くつきささってくるものがある。この夥しい死を踏み台にした生を淘汰と言いきるなら、非情の意味を認識しなおさねばならぬだろう。こんな所へ足を踏みいれる俳人は恐らくいまい。科学と俳句のちがいである。

 最近、住宅街はサギ山の至近にまで進出するようになった。そして必ず、その騒音と悪臭を嫌う一方的な住民感情によって有害駆除の対象にされ、サギ山そのものが消滅する例が増えている。それ以前に、サギ類は餌の魚などを通して農薬汚染の影響を受けやすく、急速に数を減らしていたのである。ダイサギはもともとそれほど多い鳥ではなかったが、チュウサギはかつては各地のサギ山でもっとも数の多い種であった。けれども今はコサギの方が数の上では優位に立つという現象が起きている。そのコサギは近年、河川沿いに山間の盆地や北日本に分布をひろげたが、この傾向は、例えばカワセミが農薬禍によって山間部へ追いつめられた時期と一致するのである。開けた渓流に沿って、こんな所にと驚いたコサギとの出会いが、それほど珍しくなくなったのはそう古いことではない。

 シラサギの夏羽は腰の羽毛がのびて飾り羽となる。コサギでは背側へかなりカールしていて、後頭部に長い冠羽がつき出してくる。その飾り羽は蓑毛などと呼ばれるが、あの壮絶な繁殖活動からは思いもよらぬ清楚な美しさと気品に満ちている。

 コサギくらいの大きさで、頭部から首の上部、背面にオレンジ色の羽をもった白いサギは、夏羽のアマサギ(亜麻鷺 L50 W89)である。Cattle Egretとも呼ばれるように、牛などの家畜や大形の草食動物について歩いて、追いだされる昆虫やカエルを食べる。ひと昔前の日本では耕牛について歩いていたが、農業が機械化された今は耕耘機についている。恐らく東南アジアでは、今でも水牛の後を追っていると思われるが、日本へ渡ってくるとたちまらモダンになる。

 

  美しき距離白鷺が蝶に見ゆ   山口 誓子

 シラサギの飛ぶ姿は、S字に折りまげた首をさらに胸側に縮め足を伸ばして羽ばたいている。この句には伊吹山の前書きがある。シラサギは高い空を飛んでいるが作者は山の高みにいるので水平方向に見える。飛んでいるシラサギとの距離は、縮めた首も伸ばした足も省かれて、輝くばかりに白い羽ばたきだけが目立つ距離である。その空間の隔りを美しい距離といった。そのシラサギが蝶に見えたからである。「涼しげに立っている白鷺。その白鷺が蝶のように見える」という鑑賞は私をひどく驚かせた。鑑賞は自由だが、時にその人の体験をさらけだすことにもなる。

 

  西へゆく白鷺なれや車窓ぞひ   中村草田男

 鷺飛んで水を濁せる薄暑かな   皆川 盤水

 

私本野鳥歳時記(20)1996年3月