意外とブログの反応が良く、うれしい限りでございます。

前回の続きを書きたいと思います。

 

10円まんじゅうの会社の次に、

私は「ステーキのけん」をフランチャイズで運営している、

株式会社サンクスプラスという会社に入社しました。

 

当時ステーキのけんは25店舗ほどで、

これから多店舗出店をしていくという楽しみな状況でした。

 

 

私にとっては昔から「いわたき」は、なじみが深かったのですが、

サラダバーやドリンクバー付きのレストランはその当時は少なく珍しいジャンルでした。

 

当時サンクスプラスの社長だった桝本さんは、

あんなことやこんなことができるよね!という感じでいろいろお話をしてくれました。

私はたくさん店舗が増えていくこの会社であれば、

やりたいと思っていた店舗開発の仕事ができる!と思い入社することにしました。

 

まあそうはいっても急にそんな仕事はなく、激務の現場の店長でした。

休みは週に1度取れるかどうか、

朝の9時に出勤して帰るのは夜中の2時。

そんな生活が毎日のように続きました。

 

今思えば自分の実力不足で労働時間が長かったのも原因です。

今ならスタッフを育てるなり、採用するなりして、

自分の休みを確保することができたと思います。

しかしながら変な責任感が働き、

休みの日でも気になってしまったりすることで勝手に自分を追い込んでいました。

 

まあそうは言っても慢性的な人材不足、

かつ広範囲のエリアに店舗展開していたので、

厳しい状況ではあったと思います。

 

またこのタイミングの私の直属の上司は森重さんという方でした。

この方に仕事を教えてもらい、今の自分があるのはこの方と言っても過言ではありません。

飲食店の数字を教えてもらい、

仕事はどういう風に考えるのかを徹底的に教えてもらいました。

森重さんは効率を究極までに求める方なので、

その点に関してすごく勉強になりました。

 

この会社に在籍中は、数多くの引っ越しを経験しました。

最初の店舗は町田の鶴川という場所でした。

 

そこを皮切りに、

 

町田→柏の葉→柿生→千葉みなと→福生→茂原→八千代緑が丘→印西牧の原

 

と、移動をいたしました。

3年経たないくらいの間で、6回くらい引っ越しをしました。

おかげさまでよい賃貸不動産の探し方を会得することができました。

 

話は仕事に戻りますが、

これだけ異動を重ねたということは、

それだけ激しいペースで店舗の出店がありました。

ステーキのけんはわずか3年間ほどで250店舗くらいまで急拡大しました。

茂原や八千代緑が丘の店舗は毎月の売り上げが1000万オーバーで、

土日は1時間待ちが当たり前といった状況でした。

いやほんと忙しかったです。

 

私はとっても仕事を頑張っていましたので、

1年くらいで店長から店長兼任のエリアマネージャーに出世しました。

偉くなってみたかった私からすると、それはとてもうれしいことでした。

 

しかしながら急成長をしたステーキのけんは売り上げが徐々に失速していきます。

たたでさえちょっと飽きられてはじめてブームが去りつつあるタイミングで、

FC元のエムグラント社の社長の井戸さんの炎上商法に対する大バッシングが起きていました。

そこでとどめを刺すように直営店が食中毒を出して営業停止になりました。

 

 

しかし泣き言を言っているわけにもいかないので、

いろんな販促を考えたり、店舗イベントを考えたり、

経費削減の策を考えたり、この時は本当にいろんなことを考えました。

おかげさまでとても考える力がつき、考えるクセがついたと思います。

 

そうこうしながら働いていたのですが、

3年くらい働いたある日、急に仕事に行きたくなくなりました。

行かないといけないのはわかっているのですが、

もうなんか何のために頑張るのかわからなくなってました。

そのため私は逃げるように会社を退社しました。

 

しばらくは失業給付金をもらいながら、

何もしない時期を過ごしました。

でも実はそんな状況になったのも、原因があるのです。。。

 

続く。