本日は、しばらく身動きがとれないのでいつもと違う方向に向いてみました。
まずはいつも通りの、小塩山十輪寺 てす。
今年は寒い日が続いていて、なかなか桜という雰囲気ではありませんが、御朱印だけは桜感が満載です。
新しい御朱印帳も発売されていて、つい触手が動いてしまいました。

御朱印帳

御朱印帳御朱印

桜御朱印『散桜』

身根具足

ネコアルキ 出演記念御朱印

さて、十輪寺をあとにして次に向かったのは、菩提山穴太寺 です。
亀岡方面に足を延ばして、西国草創1300年第9弾のご訪問をさせていただきました。
705年に、文武帝の勅願により薬師如来を御本尊として大伴古麻呂が開創したとされますが、廟堂3位の藤原不比等が居て、当時22歳の文武帝の勅により無名の下級官僚であった古麻呂に開創を命じるのかなぁと悶々としてしまう御由緒です。
今昔物語集などによると平安時代後期にはその名が記録されているそうで、鎌倉時代に西国三十三所霊場の札所となり知られるところとなります。
その後、明智光秀が丹波平定を命じられて乗り込んできた折に焼失、江戸時代に再興されたのだそうです。
さて、本堂ですが御本尊の秘仏薬師如来、札所本尊の聖観音、その脇に不動明王、阿弥陀如来、そして1896年に本堂の屋根裏から発見された釈迦如来大涅槃像が安置されています。
また、札所の御本尊である聖観音像ですが、今昔物語集などによれば仏師感世作と伝わる身代わり観音として有名です。
こちらは重要文化財指定される仏像でしたが、1968年に盗難被害に遭ってしまい、未だに見つかっていないため、現在、御厨子の中には昭和の名仏師である佐川定慶作の像を秘仏として奉安さています。

今般、西国草創1300年にあたり、厨子王丸肌守御本尊も公開されていました。
厨子王丸といえば、安寿と厨子王…。
陸奥国判官である岩城正氏は讒言により筑紫に左遷され、妻とその子である安寿と厨子王という姉弟が、正氏を追って越後直江津に差しかかった時に運悪く人買いの山岡太夫に騙されてしまい、妻は佐渡に、姉弟は丹後国の領主である山椒大夫に奴隷として売られてしまいました。
大きくなったある日、安寿は厨子王を逃がしますが、それが山椒大夫に露見し息子である三郎は安寿に拷問を行い、肌守御本尊が責め苦を変わりに受けてくださったのですが、沼に身を投げてしまいました。
厨子王は復讐を胸に都に上り、関白藤原師実の知遇を得て、父正氏の讒言の撤回を認めてもらい旧領復活、並びに讒言者の所領は没収され厨子王に与えられました。
厨子王は丹後・越後・佐渡に若干の所領を得たいと上奏し許可され、
丹後では匿ってもらったお寺に感謝をし、山椒大夫とその子三郎は鋸挽きの刑にて刑死させ、越後においては山岡太夫を討ち取ります。
そこから佐渡へ向かった厨子王は、遂に片辺鹿野浦にて「安寿恋しやホゥヤレホ。厨子王恋しやホゥヤレホ」と唄う盲いた老女に遭遇し、母と再開を果たし母の眼に随喜の涙が浮かぶと共に再び光が差すというお話です。
丹後から丹波を抜け山城に入った時に匿ってもらったお寺が穴太寺であったのだそうで、厨子王丸は肌守の御本尊を穴太寺に奉納して姉安寿の供養をしたと伝えられています。

さて、現在穴太寺では江戸時代の御朱印も復刻されておられ、そちらの御朱印もいただくことができました。
スイーツ巡礼としては、若菜屋さんの焼き栗きんとんをいただきました。
素材の持つ甘みを生かした栗きんとんにこんがり焼き色を付けました。
とのことで、とっても美味しかったです。

丹波霊験所 醫王善逝(薬師如来)

丹波霊験所 寂静(涅槃釈迦如来)

草創1300年記念
西国三十三所霊場第21番札所 聖大悲殿

草創1300年記念
西国三十三所霊場第21番札所 御詠歌
かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声

西国三十三所霊場第21番札所 聖大悲殿(江戸時代Ver)

西国三十三所霊場第21番札所 御詠歌(江戸時代Ver)
かかる世に 生まれあふ身の あな憂やと 思はで頼め 十声一声

続いてお伺いしたのは、朝日山神蔵寺 です。
782年に最澄が道場を開いたことに始まるとされています。
その最澄に比叡山を逐われて程近い大江山を本拠としていた酒呑童子の寝込みを襲撃し、討伐した源頼光が帰依した寺院でもあります。
1180年、頼光の末孫である三位頼政が以仁王と挙兵した折に、頼政と行動を共にした三井寺につきますが、鎮圧され平氏により所領を没収されてしまいました。
その後、天台宗の達玄により1235年に再建され、室町時代には管領細川氏の庇護を受けて栄えますが、1575年の明智光秀による丹波攻めにより御本尊以外全焼の憂き目に遭います。
江戸時代に入り、浄土宗光明寺派の願西により諸堂が再建されますが、2代亀山藩主である大給松平家の伊賀守忠昭により臨済宗妙心寺派の高隠玄厚を招聘し現在に繋がるそうです。

西国薬師四十九霊場第43番 瑠璃殿

西国薬師四十九霊場第43番 御詠歌
あさひやま あかねさしいずる かげそいて 大悲のちかい 広きみちしば

せっかく亀岡まで来たので湯の花温泉に浸かろうと 渓山閣 に立ち寄りました。観光地から少し離れた所にありますが紅葉の時季にはすごい人になるようです。でも桜にもまだ早い日にお伺いしたので温泉も人が少なく静かにゆっくりできました。
遠く戦国時代には武将が刀傷を癒やすための湯治場として利用されていたと伝わる古い歴史を持つ温泉だそうです。
天然ラジウム温泉の湯は身体が温まり肌もしっとりするような柔らかいお湯でした。湯の流れる音だけが聞こえる中で手入れの行き届いた庭園を眺めながら広い露天風呂でのんびり寛げました。




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