いそいそと帰り道に戻り、久々にたくさんの社寺に御縁があったと思っていると、眼前にかましきさんという名称が…。
それが、安養山往生院勝念寺 でした。
第106代正親町帝からの勅命により、安土宗論で浄土宗側筆頭として日蓮宗を撃破した聖誉貞安が、1587年大雲院創立後に建てた寺院なのだそうです。
1595年に地蔵堂が完成しますが、このお地蔵様は信長公より賜ったのだそうで、釜の中に蓮華があってその上に延命地蔵尊が立たれるというお姿をされていますが、これはお地蔵様が釜茹でになる人の代わりに自ら釜に入られている様子を表しているとされ、身代わり釜敷地蔵尊として伝わる他、信長公より賜った像として閻魔法王自作小霊像、多羅観音菩薩坐像(金銅天竺仏坐像)があるようです。
蛙の置物がたくさんあったのですが、そのお話をする暇もありませんでした。
どうやら身代わり→身を代わる→身を代える→身を蛙?という語呂なのだそうです。
わかりませんでしたよ…。

貞安上人 本尊阿弥陀如来


織田信長公賜 釜敷地蔵尊


織田信長公賜 閻魔法王


織田信長公賜 多羅観音 


あぁ藤森神社行きたかったなぁ(泣)

泣く泣く帰り道に伏見稲荷の稲荷祭の赤い幟がはためくのを横目に帰っている途中、京都駅に近づきました。
そういえば…。
物議を醸している御朱印が御旅所でいただけたと大黒寺さんで仰ってる方がいてたなぁと思い、伏見稲荷大社御旅所 へ方向を変えました。
古くは油小路七条と八条坊門猪熊の2か所にあったところ、これまた太閤が合併させてこの地に移させたのだそうです。
近鉄で京都駅に向かっているといつもイオンの向かいにある謎の神社は何なのだろうと思っていたのですが、御旅所だったのですね。
スッキリしたところで、本日は終了です。

伏見稲荷大社御旅所