本日はあまり時間がありませんでしたが、少し山科を廻らせていただきました。
東京では桜の開花宣言がされていましたが、本日は暖かかったのの、こちらにはまだ桜の便りは届いていませんでした。
まずは、毘沙門堂門跡 へ向かいました。
どうやら彩り御朱印を本格的に始められたようでFacebookにて告知さていました。
今回、負けられない勝負事があるので毘沙門天さまにお願いも兼ねてお詣りさせていただきました。













さてその次に伺ったのは、諸羽神社 です。
第56代清和帝の勅命により社殿が造営されますが、それ以前から存在していたようで詳細は不明なのだそうです。
この場所には清和帝の叔父である第54代仁明帝の第4皇子人康親王の山荘があり、山科宮と呼ばれていました。
この地は、天孫降臨の際に瓊瓊杵尊を補佐した天児屋根命と天太玉命が降臨した山階柳山であり、最初は楊柳大明神として祀られていましたが、両翼の例えから両羽大明神と改められたそうで、降臨した山も両羽山と改められました。
またこちらの地名は四ノ宮といって、人康親王が第4皇子であったから、また、山科18郷で4番目に当たるから、などという伝承が伝わります。



最後に程近い、楊柳山十禅寺 へと向かいました。
こちらも人康親王に縁のあるお寺で、859年に厥皇后御所を寺院として、出家していた人康親王を開山にして開かれたのだそうです。
地理的に何度も戦災に見舞われそうで、その回数なんと9回、よく廃寺にならずに現在まで伝えていただいています。
当初は天台宗でありましたが、現在は聖護院門跡の末寺で本山修験宗に属しています。



※ 勝負事は引き分けに終わりました。