本日は、北近江の訪問となりました。

まずは、近江聖人中江藤樹を敬慕する人々によって1922年に建てられた、藤樹神社 へ伺いました。
近くには中江藤樹が帰藩後に開いた私塾である藤樹書院があり、地元の方々の藤樹に対する思慕がよく伝わってくる街並みです。
ちなみに、1622年に開かれた藤樹書院でしたが1880年の火災で焼失し、1882年に再建されて現在に至るそうで、国の史跡に指定された1922年に藤樹神社も創建されています。
ちなみに、御朱印は神社に併設している記念館にていただけます。

藤樹神社



続いて程近い、祥雲山来迎寺 へ伺いました。
1502年に天台真盛宗3世真恵により開かれた寺院で、ご本尊は阿弥陀如来です。
本堂内陣を改築されておられ、ご本尊が前面に出られておられました。

こちらは、
びわ湖百八霊場第22番札所
高島観音霊場第30番札所
で、御朱印は本堂でいただけました。

びわ湖百八霊場第22番 弥陀殿


高島観音霊場第30番 聖観世音菩薩



そのまま青柳の交差点を琵琶湖方面に進むと向かって右手に、浄土寺 が現れます。
1622年に開かれた浄土宗のお寺なのですが、現在は無住となっており詳細をお聞きすることはできませんでした。
奇遇にも観音堂の清掃日であったようで地元の方々がお厨子も開扉されて半跏思惟観音像も綺麗にされていました。
御朱印も引き出しに保管されていてそれを捺させていただきました。

こちらは、
高島観音霊場第29番札所
で、御朱印は観音堂内でいただけました。

高島観音霊場第29番


続いて近くにあるはずの、第28番札所の祐徳寺は集会所となっているのですが見つけられませんでした。
次の第27番西音寺は、お客様の来訪が長引いていたようですので辞去しましたし、次の第26番普門院は無住となっているようで、向かいの呉服店でうかがいましたが詳細は判りかねる様子でした。

続いてずーっと北上し、洞雲山曹澤禅寺 という曹洞宗の寺院に伺いました。
1384年に佐々木氏によって開かれた寺院と伝わります。
高島は織田氏被官佐久間氏と縁が深く、今年の1月23日訪問の幡岳寺が佐久間氏の菩提寺となっていますが、そもそもは佐久間盛次の四男勝之(長兄は玄播允盛重)が、戦国の世を潜り抜け信濃長沼藩主となり、大坂の陣の戦功により加増され高島中庄等を与えられました。
しかしながら、秋月氏から養子縁組した4代勝親が入封3年で詐病による出仕拒否にて1688年に改易になり領地を失いました。
中庄の被官で500石を領した小原作左衛門は主家を失い、曹澤寺に棲んだそうです。
曹澤寺のある地域は今津という地区で、加賀前田氏藩祖利家の夫人芳春院に化粧料として与えられた飛び地であり、加賀藩領弘川村です。
1618年に芳春院の位牌が当寺に安置され、位牌堂も建てられました。
小原作左衛門は寺堂を整備したことにより当寺の中興の祖と言われているのだそうです。

こちらは、
高島観音霊場第16番札所
釈迦三十二禅刹札所
で、御朱印は庫裏でお声かけいたしましたが、そもそも観音霊場であったことをご存知でない上に高島観音霊場の印などは現存しないそうです。
さらにご本尊は釈迦如来で薬師如来もおられすが観音様はおられないとのことでした。

摩尼宝殿


釈迦三十二禅刹 白雲幽石を抱く



本日授かった御朱印の合計は6です。