今回はまずは 城南宮 に行きました。

こちらはいつからあるかわからないという歴史の古い神社です。
三韓征伐の折に掲げた旗に神功皇后と大国主神の神霊を添えて奉斎したのが始まりだと言われています。
桓武帝の平安遷都の折に国常立尊を合祀して、平安京の南に位置することから「城南宮」と呼ばれました。
また、裏鬼門を守る神として貴族の方違の退避先ともなりました。
転じて厄除けの神さまとしても有名となり、そこで振る舞われる旧正月の七日(今の2月11日)の七草粥が評判となりました。
この七草粥が目的で今回は城南宮が最初となりました!

唐土の鳥が日本の土地に
渡らぬ先に七草なづな
テッテッテロロロ‥‥


怪しげな唱題が聞こえてくるのですが、それが昔から七草を刻む時に発する抑揚だったとか‥。
でも男性の声だし、少し気味悪くもありましたが。
御朱印は販売ブースの一番左手でいただきました。


方除大社 城南宮



七草食べて無病息災を祈念し、次に向かったのは 北向山不動院 です。
鳥羽帝の病気平癒を興教上人が祈願した時に現れた不動明王を祀っています。
王城鎮護の思想から不動明王は平安京のある北を向いているそうです。

こちらは、近畿三十六不動尊霊場第22番の札所です。


近畿三十六不動尊霊場第22番 一願不動



近畿三十六不動尊霊場第22番 御詠歌

はるばると したいきたれる きたむきざん いままのあたり おがむうれしさ



で、本堂右手の納経所で頂けます。

御朱印を頂いたあと、納経所の方に良かったら上をご覧くださいと言われ見てみると、明治初年度寄付者の木札が掲げてありました。
名前を見ると、山階宮、梨本宮、華頂宮、有栖川宮などの宮家から西郷従道や佐々木高行、大木高任、山縣有朋、松方正義などの維新の功績者達の名前がたくさんありました。
現在は金○萬圓などと書かれることが多いですが、当時は○疋と表記していたようです。
てっきり、布で収めていたのかと思いましたが、後から調べると100疋=1貫だそうで1000文=1貫、1両=4000文で、即ち4貫で1両だとすると、千疋は2.5両で1両15万円くらいだとすると37.5万円くらいの寄付になるのかな。と、いろいろ考えました。

さて、そこから 安楽寿院 に向かいましたが、アポなしでは無理だったようで、また出直すことにしました。

そこからは北上し、 錦市場 へと向かいました。
個人的に錦大丸の鯖寿司が好きなもので、伺いましたが休みでした。
ガックリしながら 錦天満宮 に伺いお参りをさせたいただきました。
菅原道真公の父是善の邸宅「菅原院」を、源融の邸宅跡地である六条河原院に移転させ歓喜寺とし、そこの鎮守社として天満天神を祀ったのが始まりであるとか。
その後、太閤秀吉のお土居(鴨川沿いに寺社を移転させた土地計画)の為、現在地に移転したのです。
勝敗繁盛だけでなく菅原家ということで学業関連も信仰が篤いそうです。

錦天満宮



で、本日最後は 誓願寺 です。
昨年12月15日のブロクでもふれたとおり、西山国師の御詠歌の御朱印は次回ということであったので訪問しました。
お書きいただけました。


西山国師十六遺跡霊場 御詠歌

大いなる 佛まします誓い寺 都のちまたに あまねく照らす


本日は5こです。

総頂戴数は334こです。

(うち、御詠歌は33こです)